★ 「子どもの教会・教師会」での最重要な議論と祈りは、契約の子たちの信仰継承です。その中で、礼拝式において、「ナースリー」(乳幼児のお世話)の奉仕についての議論がありました。奉仕者の姉妹がたは、 当番を決め、尊いご奉仕を担っておられます。その奉仕の目的とは、何か、それを確認したいと思います。
第一に、子育て中のお母さんたちが、「説教」に集中できるようにとの配慮です。
第二に、乳幼児が礼拝の説教中に、そこに集中することは、困難です。とにかく、子どもを黙らせるようにしつけることも、親の教育方針であり、尊重すべき一つの教会伝統です。しかし、それで、教会ぎらいになることもあり得ます。また、礼拝堂内で、まったく礼拝とは関係のないことをさせるだけであるなら、それも、問題があると考えます。このような考えのもと、私どもは、「説教中」は、別室で、礼拝中に出来る限りふさわしい遊びや読書などで過ごせるようにとの配慮を、続けてまいりました。
つまり、お母さんたちは、奉仕者に完全にゆだねることが、実は、奉仕者の奉仕に報いることなのです。決して、遠慮することはありません。むしろ、説教に集中することによって、奉仕者は、自分の奉仕の重さと幸いを覚えるのです。 したがって、どうぞ、お母さんたちは、説教前と後には、子どもたちと礼拝堂で高らかに讃美を歌い、信仰告白、十戒、主の祈りを唱えるように励ましましょう。また、献金の祈り、頌栄の讃美を、歌えない乳児は、アーメン!の言葉を元気に捧げられるように指導しましょう。
◎ ナースリーの奉仕者方は、子どもたちがお母さんのいる礼拝堂に入ることを、出来る限りさせないようにとの心構えも必要となると思います。とても大変なことと思いますが・・・。
◎ 礼拝当番の委員方は、小学5年生以上の子どもたちであれば、出来る限り共に、礼拝式を捧げるようにと配慮し、席へと誘導する務めがあります。乳幼児も、説教までは、とにかく一緒にいられるようにと、励ましましょう。大人にとっても、子どもたちが元気に讃美を歌い、ニカヤ信条、主の祈り、十戒を唱える姿を見ることは、至福の幸いです。そのために、静粛さが少々犠牲になっても!です。
これらのことは、当教会の基本線です。いずれにせよ、私どもが毎日、真剣に祈るのは、神からあずかった子どもたち、契約の子たちが、もれなく、信仰を告白し、自覚的な信仰者として、教会人として神と人に仕えるように成長することです。そのために、子どもたちの「ために」、子どもと「共に」祈って参りましょう。「リジョイス」の「いのちのパン」の企画は、もともと教会学校教案誌のものでした。わたしの祈りでした。(執筆者は、編集部の教師方)この「子ども聖書日課」を用いて、毎日、祈ること、家庭の祈りが信仰教育の土台です。「いのちのパン」の文章もまた、我が子の年齢にあわせて噛み砕いて、説明しながら読むことが、親の責任、喜び、醍醐味と思います。正直に申しますと、自分の子育てを振り返り、仕事に追われ、食事を共にすることもできない日々が続きました。痛恨!!です。どうぞ、神の御前に生きる喜びへと、子どもたちを育てて参りましょう。「子どもの教会」は、その最高の手助けとなるはずです。子どもの教会の教師たちもまた、契約の子を、また地域の子らを神に捧げるために、神に召された奉仕者です。この際、あらためて、皆様の日々の祈りの中で執り成しの祈りをお願い致します。
☆ 主日礼拝式は、「大人の礼拝」とは言いません。子どものためには、特別に子ども礼拝、子どもの教会がありますが、主の日の朝の礼拝式は、すべての人に開かれているからです。しかしながら、言葉によって礼拝をつくる私どもの教会の伝統において、子どもたちが、説教を理解し、その時間、説教聴聞に集中することは、容易なことではありません。ですから、子どもたちには、何としても子どもの礼拝の説教、分級が必要なのです。私どもは、「説教中」に、乳幼児を含む子らを、自動的に礼拝堂内にとの立場をとったことがありません。
★ 名古屋岩の上教会のディアコニアを、個人的に担う兄弟たちのことを思います。ホームレスの方々への奉仕、夜にたむろする中学生への夜回り・・・、そして、本日午後は、公園伝道・・・。
☆ 50周年記念信徒大会が終わりました。これから、各個教会、伝道所がそれぞれに告白された「教会の言葉」に真実に生きる戦いが始まります。各個教会の伝道と教会形成が祝福されることなしに、中会形成もありません。私どもも(わたしも)、そこへ集中できるようにと体制と整え直したいと願っています。