過去の投稿2009年10月27日

10月11日

★    先々週は、ナースリー奉仕、契約の子の礼拝式への参加のあり方について、この欄に、記しました。今回は、委員会での懇談時に、話題となった礼拝式の「報告」について改めて確認するために記します。

     さて、皆さんは、「報告」が礼拝式の一部であると思いますか?正解は、○です。これは、かなり昔になりますが、礼拝式についての全体研修会の中で学んだことでした。その後、渡辺委員は、あらためてその時の文書を印刷してくださり、皆さんに配布されました。本来は、その文書を再確認してくださればありがたいと思いますが、改めて、お話します。

     式次第の中に、「報告」があります。一段落、おいて「報告」と記載されているからなのでしょうか、実は、報告の時間は、礼拝式のプログラムとは別のつけたしと認識される方もいらっしゃいます。確かに、私どもの式次第の中で祝福があり、奏楽が短く後奏を弾かれます。それゆえに、うっかりすると、感覚的に申しますと、そこで礼拝式は終了したと思われるのも仕方がありません。しかし、ある教会は、この報告を、祝福の前に、頌栄の前になすのです。そのときの報告の意味とは何でしょうか。

     教会とは、キリスト者の交わりによって造られます。使徒信条では、「聖徒の交わり」と告白します。ニカヤ信条にはない例外的な文言です。しかし、極めて大切な真理です。とりわけ、福音主義教会(=プロテスタント この表記もまた大切。プロテスタントとは、ローマ教会の見方です。ローマ教会のあり方へのプロテスト=抗議という意味です。抗議する教会・・・、実に残念な表記ですね。私どもは、福音を再発見し、福音によって建つ教会という自己理解を持つべきです。その意味で、福音主義教会とわたしは表記します。)では、教える教会(教師、教導職)と教えられる教会(信徒)とを二つに分離します。しかし、私どもは、神の民に区分を設けません。教える職務者は教会に必須、不可欠ですが、それは、職務が異なるわけで、キリスト者としての存在の本質はまったくかわりがありません。・・・、いささかややこしい議論になるのをお許し下さい。

      キリスト者の交わりが教会であれば、教会員の消息、安否、課題をお互いが共有することは、当然求められます。そこに、福音主義教会にとって「交わり」が、重んじられる伝統がつくられるわけです。そして、教会のありとあらゆる課題は、基本的に全信徒、現住陪餐会員によって共有され、祈りの課題とされなければなりません。長老主義教会である私どもは、教師、長老、執事の役員たちに、教会の様々な課題をおまかせしてすますことは、教会の「自殺行為」なのです。

     したがって、「報告」とは、公的に教会の交わりと作り上げるための、まさに交わりの場なのです。それは、神の御前でなされるべきことです。神の恵みによってこそ造られ、守られ、育まれる教会です。具体的な歩みです。礼拝式は、神から人への動き(上から下へ)と、その恵みに応答する人から神へ(下から上へ)の動きが相互に関連しながら展開します。ちなみに、その頂点である説教もまた、「上から下へ=神の言葉の宣言」と「下から上へ=人間の言葉、この世界の言葉、私たちの現実を描き出す言葉」が相互に関わりながら、その全体において神の言葉の説教となります。このような動きの中で、その頂点として「神の派遣の言葉=安心して行きなさい!・神の祝福=とこしえにあらんことを、アーメン!」があります。

    その中で、「報告」は、「人から人へ」です。しかもその人とは聖霊の恵みを受けた人です。そして、その人を用いて神は、ご自身のみ業を完遂してくださいます。その意味で、「報告」は、特別の動きです。この動きの性格によって、私どもは、報告を、最後のところに置いているのです。しかし、繰り返しますが、神へと、天国へと集中するこの動きだけが礼拝式ではありません。天国と教会、具体的なこの名古屋岩の上教会の歩みについての共通の認識、情報を共有する場所、これが報告です。ですから、現住陪餐会員で、報告にあずかれないと、重大な損失であり、自分の奉仕、責任を正しく遂行できません。つまり、執り成し祈り、課題のために具体的に奉仕することが、できないのです。

    結論!報告の際には、現住陪餐会員は、全員、礼拝堂で、集中して報告を聴いて下さい。この報告を、私どもはこれまでずっと牧師がしてまいりましたが、今は、委員が担います。その理由、もう書かなくとも、ご理解いただけると思います。牧師の奉仕による伝道と教会形成ではなく、委員会、役員を中心にしてのそれへと成長するためです。どうぞ、幼子は、退席してもかまいませんが、現住陪餐会員は、改めて報告に集中しましょう。     「15周年記念誌発行と合わせ、あらためて私どもの伝統継承の課題を、ここで担います。

 委員会の話のなかで、祈祷会で、「教会の言葉」「献堂の告白」「99年、回顧と展望」を学ぶこととしまし