過去の投稿2009年10月27日

10月25日

★   本日は、多治見教会の小野静雄先生をお迎えすることができました。実に幸いなことです。報告にも記しましたが、私どもの教会が、今日、日本キリスト改革派教会そして中部中会の一枝であることは、先生との出会いなしにはありませんでした。歴史に「もし」はありませんが、もし、他の改革派の牧師と最初に出会ったのなら・・・。そこにも神の摂理を深く思います。

☆  15周年記念誌のために、編集奉仕者は、奉仕の大詰めを迎えておられるかと思います。記念誌にご寄稿を賜りましたのは、日本キリスト改革派教会からは牧田先生、木下先生そして小野先生です。牧田先生と小野先生は5周年記録誌「この岩の上に」においてもご寄稿を賜りました。その意味では、まさに特別の先生であると言って過言ではありません。15周年を記念するとき、あらためて先生に私どもの姿を見ていただき、ご指導を頂ければ、まさに光栄であり、大きな力です。昼食と交わりの時が豊かに祝福されますように。

★   今週も、報告の時を用いて、委員がアッピールの時を持ちます。今回は、わたしは不在で、どのような「言葉」が語られるのか、残念です。来週そして再来週で最後になります。自給と自立、小会設立を目指す私どもの思いと祈りを一つに燃え上がらせることなしには、果たせません。しかも、会員へのアッピールをなすということは、委員じしんが、皆さんの模範として立つことなしには、担えません。その表明であるわけです。新しく委員に加わった仲間たち、三名も、おそらく委員になったことで、「教会人」として、神の教会に生きることの光栄と責任をはじめて気づかされるような思いで、それぞれが将来の執事、長老を目指しての歩みを、急がれたと思います。私どももまた、教会設立がどれほど急がれるべきであるか、幸いなことであり、責任であるかを委員たちと共に自覚を深めて参りたいと願います。

☆  第64回定期大会で、「礼拝指針」の改正が可決されました。私どもは、遅まきながら、改正された「礼拝指針」を、先ず、委員会で学びたいと思います。私どもは、今回、「報告」の重要性をあらためて確認しています。改正された第49条にこうあります。「(祝福・祝祷) 牧師は、礼拝にあずかった者を、この世に再び派遣するにあたり、神の祝福を求め、ふさわしい聖書の言葉を選択し、あるいは適切な祈りをささげ、神の祝福を宣言し、礼拝を閉じる。」その前の第48条には、「(報告) 教会行事、諸集会、特に礼拝への招き、大・中会、教会役員会の決定の通達、献金の奨励等は、礼拝者を教会の交わりと活動への参加を促し、その祝福へ招くものである。牧師と小会は礼拝時に会衆に報告すべきことをあらかじめ用意する。」と規定されました。つまり、報告が、礼拝式のプログラムの一つであることは明白です。祝福で礼拝が閉じられるとありますから、 それに従えば、「報告」の後に、「祝福」が来ることが相応しいというわけです。、ただし「礼拝指針」は、絶対的に私どもの礼拝式式第を規定する性質のものではありません。この点、改正作業を担う憲法委員会第三分科会の長の金田先生とも、いろいろとお話をさせていただきました。私どもは、これまでどおり、祝福の後に「報告」をしたいと思います。しかし、いよいよこの「報告」において、私どもの報告が、教会の交わりを深めることに資する恵みのときとなるようにと、先ずは、わたし自身の責任を思います。

★   先週の説教の恵みの分かち合いの折、(実に久しぶりに輪の中に入りました。男性だけの輪でした。) あらためて、リジョイスの聖書日課を用いて祈り、主の祈りを毎日祈ること、何よりも朝夕の祈祷会に積極的に出席するようにと申しました。そこで、教会の祈りが祈られ、学びがなされ、教会の交わり(教会形成)が進み、同時に自分自身の霊性が深められ、養われるからです。主の日の朝、祈りのひと時を牧師室で持っています。しかし、これは、祈祷会の代わりにはなりません。主の祈りの説教を通して、私どもの祈りの生活が見違えるまでに、豊かに、喜びのとき、恵みの「甘さ」を楽しむときとなりますようにと祈ります。

☆    これまで大会開催地は、年ごとに西部、中部、東部と変わりました。しかし、機構改革によって、大会は東部と西部で3年ずつ、役員修養会は毎年中部が担当することとなり、これで西部の3年目が終わりました。来年は、東部中会の担当で、横浜になりました。中部の大会開催は、なくなりましたから、伝道所委員が陪席することは、むつかしくなりました。日本キリスト改革派教会の現状をどのように見るのか、正しく認識することは、容易ではありません。問題は、まさに少なくありません。しかも、あの時点に戻って、あの頃を理想としてということもできません。まさに「途上」。しかも、その歩みは、「終末の希望」(60周年宣言)を目指した歩みとはなお遠いところにあるように思います。わたしは、中会でも大会でも、出席している間、又、帰路につくたび、皆さまを思い、何としても名古屋岩の上伝道所において善き結実をと、思いを新たにさせられます。