過去の投稿2009年11月1日

読む説教とほんものの説教

先週の講壇交換で、敬愛する元インドネシアの女性宣教師から言われました。
「相馬先生の説教を読むのと、実際に聴くのとでは違いますね。実際は、単純・・・」
説教を読んでいてくださること、とても感謝です。
しかし、実際の説教とは、ずいぶん違う印象を持たれわけです・・・。 

今、「主の祈り」の説教が続いています。アップを怠っています。いろいろな理由がありますが、このような声を聞くと、ますます、怠りがちになります。
あなたもどうぞ、実際の肉声の説教を聴いてくださいませんか。
それこそ、ほんものの説教です。

「読む説教」が貧しければ、説教はアウトです。
しかし、説教は、語る存在、肉声によって伝えられます。
インターネットは、すばらしいのですが、やはり、限界があります。
神さまとの出会いも、出来事として起こる、とりわけ説教における出来事
として起こるのですから、教会へと勇気を出して、
そして気軽に!来てください。
ようするに、お気軽に、教会へです。

今年も降誕祭には、洗礼入会者が与えられようとしています。
救いの喜びは、神の言葉から与えられます。
あなたも求めてくださいませんか!