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「あなたは、祈られている」

「あなたは、祈られている」
賛美歌 24番・148番
ヘブライ人への手紙 第7章25節    2007年4月8日復活祭(/録音)

 ・おはようございます。そしておめでとうございます。今朝は、復活祭です。主イエス・キリストは、死人の中からお甦りになられました。そのおかげで、今、あなたの罪は赦され、今、永遠の命が与えられ、朽ちてしまうあなたの肉体も、やがて新しい体へと復活できることになったのです。ですから、何度でも申し上げたいと思います。おめでとうございます。

 ・さて、あなたさまはお祈りされたことはありますか。あなたがキリスト者であれば、既にお祈りしたことがあるはずです。信じることは祈ることだからです。しかしたといキリスト者でない方であっても、今まで、一度も「祈りの気持ち」を持ったことがないとか、神社仏閣に詣で、お願いごとをしたことがないという人はむしろ、少ないのではないかと思うのです。その意味では、お祈りをするという行為やその感情は、洋の東西を問わず、時代や文明文化を越えた、人類に共通の現象で、人間にとって身近なことなのではないかと思います。

 ・ところが、です。祈りについて、聖書を読んで気づかされるとても大切なことがあります。それは、そもそも、人間には、真の神、生ける神にお祈りする「権利」がないということです。また、祈る「能力」もないということなのです。

 ・そもそも、お祈りとは神さまとの会話、お話することです。ですから、お祈りできる人というのは、真の神さまとよい関係、親しい関係、ことばを換えますと、正しい関係になければできないものです。しかし、いったい、私どもは、神さまとの良い関係、正しい関係を自分自身で作り出すことができるのでしょうか。それは不可能です。

・なぜなら、私たち人間は、自分が犯した罪によって、神さまから怒りや裁きを受けて当然の人間になり下がってしまったからです。神さまとのよい関係、親しい間柄を私どものほうで勝手に壊してしまったのです。もはや、神との関係、その間柄を、自分の修養や努力などで、修復することはできないのです。

 ・いったいどうして、神の独り子であられる主イエスは、人間としてお生まれくださったのでしょうか。どうして、十字架にかかってくださったのでしょうか。それは、実に、私どもが破り捨ててしまった神さまとの正しい関係を、本来のあるべき関係へと取り戻してくださるためでした。父なる神は、御子を死人の中から甦らせてくださることによって、私どもの罪を赦し、私どもをご自身の子どもとして受け入れて、その救いを確かなものとしてくださったのです。

・それなら、復活されたイエスさまは今、どこで何をなさっておられるのでしょうか。イエスさまは、今、天におられます。つまり、父なる神の右に昇って行かれたのです。何のために、天に戻られたのでしょうか。天の父なる神さまとあなたの間にたって、その関係、その仲を取り持ってくださるためです。主イエスは、まさに今、このように神に執り成し、訴え続けてくださるのです。「我が父よ、わたしはこの放送を聴いている彼のために十字架で死に、彼の罪を贖いました。あなたはそのわたしを復活させてくださいました。ですから彼のすべての罪、過ちは赦されるはずです。どうぞ、彼を信じる者にしてください。彼のつたない祈りを、聴いてください。彼を、神さまの子どもにして、成長させてください。」

・実は、お祈りとは、このイエスさまの執り成しのお祈りにささえられているからこそ、できるものなのです。そうです。主イエスさまに祈られているあなたさまですから、今、大胆に、「天のお父さま」とお呼びし、お祈りする権利も力も与えられているのです。どうぞ、今、「天のお父さま」と声に出して、神をお呼びしてください。神は、あなたを「わたしの愛する子」とお呼び下さっているのです。どうぞ、返事をしてください。

・イエスさまを信じて、「天のお父様」と一言でも、お呼びするなら、立派なお祈りです。そして、あなたと神さまとの関係は一気に、修復させていただけるのです。