過去の投稿2010年1月11日

「不思議なポケット」

CBCラジオキリストへの時間 「不思議なポケット」
賛美歌 152番「みめぐみ深き主に」・461番「主我を愛す」 讃美歌21
聖 書 ヨハネ福音書第6章8‐9節     2008年9月 日(/録音)
「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

今、男たちだけで5000人もの人々が、イエスさまの説教を聴きに集っています。夕暮れになり、誰もがお腹をすかしていました。主イエスと弟子たちは、彼らの空腹の問題について話し合っていました。とその時、一人の少年が、「これを食べてください」と、自分のお弁当をイエスさまに差し出したのです。

いったい、主イエスは、あの場所でどのようなお話をなさっておられたのでしょうか。それは、この少年の行動によって明らかにされるのではないでしょうか。

  わたしはこのよう説教であったかと思います。「神を愛し、隣人を自分のように愛しなさい。」「何を食べようかと思い煩わないで、何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。」「受けるよりは与える方が幸いです。」熱心にイエスさまの説教を聴いていた少年は、こう考えたのです。「僕たち家族のお弁当は、僕たちだけで食べてしまっては、いけない。」

キリスト者の優れた詩人、まど・みちおさんの作品に「不思議なポケット」という詞があります。
「ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
  ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
  もひとつ たたくと ビスケットは みっつ
  たたいて みるたび ビスケットは ふえる
  そんな ふしぎな  ポケットが ほしい
  そんな ふしぎな  ポケットが ほしい 」

 子どもの頃、「そんなポケットがあったら、いいよなぁ」と考えたことがあります。しかし、すぐに心のなかで、こう決着をつけて終わりました。「あるわけない!」

しかし、今では違います。わたくしは、そのポケットを持っているし、使わなくてはならないと、信じ、考えています。実は、この不思議なポケットの「種明かし」はごく簡単です。誰のどんなポケットでも、ビスケットを入れてたたいてみれば、割れます。二つになっているわけです。ただし、「大人の考え」によれば、こうなるのでしょう。「ああ、もう商品にならない!」

しかしもし、割ったビスケット一枚を、持っていない人と分かち合うなら、その喜びも、その幸せも、そのうれしさも、全部二倍になるのではないでしょうか。つまり、嬉しさ、幸せ、喜びは二人のものとなるのです。二人の間には、ビスケットの甘さといっしょに、いえ、それ以上に、気持ちの優しさや友情が味わわれ、深い絆が結ばれるでしょう。詩人は、これを歌う私どもに、このように気づいて欲しいと願っているのではないでしょうか。「あなたの大切な『ビスケット』を独り占めしないで、必要としている誰かと分かち合ってみたらいかがですか!」

もとより主イエスは、ここで神の力の奇跡を起こされました。しかし、この少年のお弁当なしには、この神の国の力は起こりませんでした。

さて、主イエスは、この出来事の後、このような自己紹介をなさいます。「わたしは命のパンである。わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」主イエスは、この後、御自身を十字架に捧げてくださって、ご自分の肉体を裂かれます。それは、ご自身の命を、5000人どころか、数え切れないほど多くの人々に惜しげもなくふるまうためです。そして、この主イエスを信じることこそが、命のパンを食べることであって、それによって永遠の命が、神の限りない愛が分け与えられるのであります。どうぞ今朝あなたも、主イエス自ら差し出されているこの命のパンを食べてください。そのとき、不思議なポケットを使うことのできる、新しい生き方が始まるのであります。