過去の投稿2010年2月11日

2月7日

★ 先週は、祝福の内に会員総会を終えることが出来ましたことを感謝いたします。かつて、私どもの教会は、会員総会を30分程度で終了していました。それから比べると彼我の違いをつくづく思います。充実した内容です。質疑応答によって、事柄が正しく、広く理解されます。質問の重要性を思います。ただし、3時を越えてしまったことは、わたしの反省、課題と考えています。来年は、内容はさらに充実を目指しながらも、 3時以内で終了できるように・・・、なお周到に準備しなければと思います。

☆   昨年と今年、掲げる年間主題は何の変化もありません。いわゆる標語の聖句もありません。15年の歩みを深めること、さらにディアコニアへと広げることです。自給と設立を目指す開拓16周年の教会にふさわしい成熟を求めましょう。ひとりの委員の1年の成長ぶりに言及しました。驚きだったと率直な思いを述べました。同時に、10年以上も教会生活を重ねていたのだから当然ではないかとも申しました。委員に任じられてからの歩みは、目を見張るものがあります。それは、「自覚」の問題だと思います。「教会人」としての自覚です。また、委員とは何かを学ぶことによって、教会とは、奉仕とは、信仰とは・・・、すべてが一つに結び合わされて来られたのではないかと思います。

★   ある委員は、やっと委員らしい自覚のもとに奉仕を始められつつあるという「手ごたえ」を語られました。また、ある委員は、「年末、牧師から厳しい指導があった。顧みて、これまでの教会生活、委員の奉仕は、なお甘やかされていたものであったのか・・・」。しかし、すぐにそれを打ち消され、こう仰いました。「たっぷりと愛情を注がれて来たのだ・・・」本当に、嬉しく思いました。甘やかし・・・、それは、教育にはなりません。しかし、愛情を注がれた・・・、これは、すばらしいことです。この委員もまた、仕事をしながら、いくつもの奉仕を重ねておられます。牧師夫妻から愛情を注がれた、それを今度は、自分が会員に、そうなさって行こうと志を新たにしてくださること、まことに嬉しい報告でした。?コリント6章1節「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。」とあります。どうぞ、信仰の歩みの長短はありますが、長い人ならいっそう、発奮しましょう。

☆   最近は、書いていませんが、これまで、年末にお渡しする奉仕表に添えて、何度も「責任的に生きよう」と記しました。「責任的」なる言葉は日本語にはないでしょう。しかし、「責任」という言葉は、キリスト者にとって極めて重要な、「鍵」の言葉です。私どもの「いのち」「人生」は、誰に責任があるのでしょうか。わたしは、牧師また父そして夫としてもそれぞれに責任を担って生きていますし、生きなければなりません。しかし、それらよりはるかに重要な責任があります。それらの責任を根本的に支えることができるのは、この唯一の、究極の責任に基づくからです。それは、何か。神に対する責任です。主なる神にすべてを報告する責任です。それは、あたかも総会で、委員たちが報告したように、私どもの人生の最後には、恵みを管理する者としての報告義務があります。私どもは、一方的な恵みと賜物、計り知れないほどの愛を、溢れるほど受けて生かされています。自分の人生は、自分の思うがまま、生きて良いわけでは決してありません。生きたいときには生き、死にたいときには死ぬ・・・、そのような自由と権利は、そもそも被造物にはないのです。これほどまで(「甘やかされ」デハナク!!)愛情を注がれたのであれば、今度は、それをお返しする番です。具体的には、教会に、そして隣人にです。責任=大人のものです。私どもは、「大人のキリスト者」にならなければならないのです。それは同時にまた、徹底的に神に依り頼み、神にすがる「幼子」でなければ、そのような大人にはなれないのです。大人のキリスト者になるためには、学びと訓練が不可欠です。今、「信徒の手引き」で、この世におけるキリスト者の生活を学んでいます。国家、社会、労働、芸術、遊び・・・、ありとあらゆる領域について、キリスト者としての見識を深める学びです。極めて大切なこの学び、それも神に対する責任は、具体的には、どのように教会と社会で生きるのかというあり方になるのですから、どうぞ、祈祷会に励みましょう。

★   渡辺先生から、原稿を頂きました。いよいよ、15周年記念誌もいよいよ仕上げの段階に入ります。誠委員が中心になって作業しておられます。お祈りください。また、この貴重な講演録は、私どもだけではなく、広く諸教会の長老、執事はもとより会員の益となると思います。10年ほど前、岩の上文庫として3号まで発行したことがあります。10年ぶりに、文庫?の発行をしてはいかがでしょうか。

☆   先週、ある他教会員の家庭集会に出席させて頂きました。英語で聖書を学ぶということで、英語で輪読・・・、焦(汗;;)りました。受洗後5年ほどの兄弟が、司会(リード)され、コリントの信徒への手紙?(!)を読み解かれました。実にたのもしく、嬉しく、感謝なひと時でした。家庭集会・・・、憧れます。