「幸福をつくり出す学びを」2009年5月13日(水)
日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所 牧師 相馬伸郎
聖 書 箴言 第1章7節
金城学院大学は、プロテスタント・キリスト教を創立の基盤にする大学です。そのルーツをアメリカ長老派教会に持ちます。改革派教会とも呼ばれるこの教会の特徴は、聖書を重んじるところにあります。毎朝、礼拝があるということにその伝統が生かされていますし、スクールモットーも、聖書の一節に求められています。それが、「主を畏れることは知恵の初め。」です。
16世紀、偉大な教会の改革者であるカルバンが記した書物の一つに、「ジュネーブ教会信仰問答」があります。最初のページにこう記されています。問一「人生の主な目的は何ですか。」答え「神を知ることです。」何故なら、神を知らないと自分を見失ったままになるからです。問三は、こうです。「人間の最上の幸福は何ですか。」答え「同じです。神を知ることです。」何故なら、真の神を知れば、必ず幸福になれるからです。反対に、神さまを知らない人間は、野の獣の状態よりも不幸だと言うのです。
何を幸福とするのか、それは、人と比べる必要はありません。それなら皆さんは、何を幸福と考えていますか。おそらく、「目に見えるモノ」を獲得しているということにあるのではないでしょうか。確かに目に見えるモノがないと、幸福感を味わうことがむつかしい、これは私たちの現実です。しかし、私たち人間にとってなくてならない価値や宝、人間性の深さを決定するものは、実は、目に見えないものです。愛や正義、平和や自由、真理や善、これらは数値化して測れるものではありません。
もしも、皆さんが、「数値化できないものなんて無意味」とうそぶくなら、「わたしは薄っぺらな人間です」と、言いふらすようなものでしょう。しかし現代人は、目に見えるモノを獲得した量に従って幸福が増えるという迷信、偽りの物語に騙されています。実は、目に見える幸福が増えれば増えるほど、なくなってしまったらどうしようという不安、不幸もまた増えて行くものです。確かな幸福とは、そのような目に見えるものでは確立できないのです。
今、仮に、目に見えるものを所有することで得られる幸福を「小さな幸福」と呼ぶなら、聖書が与える幸福とは、言わば「大きな幸福」です。目に見える「小さな幸福」をさらに輝かせることもできるものだからです。そればかりではありません。これまで、悩み苦しんで来た不幸まで、キラキラと輝かせることすら起こります。反対に、これまで幸福と思い込んでいたものが、実は、そうではなかったと気づかされることも起こります。
大きな幸福に生きるために必要なこと、それが「主を畏れる」ことです。つまり、創造主なる神を知り、信じ、畏れ敬うこと、つまり今、一緒にささげている礼拝のことです。人間は、礼拝によってこそ、人間として生きる上でなくてはならない正しい知恵を持つことができるからです。人間を真の人間にするために大切なものは、目に見えないのです。目に見えない神を知ること、礼拝するところにこそ人間の幸福は定まるのです。
皆さんは「GDP」とか「GNP」とい言う言葉を聞いたことがあると思います。国内総生産は、日本は、世界第2位です。それなら、「GNH」という言葉はいかがでしょうか。これは、「国民総幸福量」Gross National Happinessの略です。実は、2006年の統計では、178か国中なんと90位でした。自殺者は、11年連続して、3万人を超えています。経済大国と言われる日本、どんなにモノにあふれていても、それが、幸福に直結しないことを、私たちは悟るべきです。
この大学は、キリスト教主義を標榜する大学です。それは、聖書を基盤にする価値観に生きようと志しているということです。教職員が、その教育を、学生に提供することが使命であり、存在理由なのです。いわゆる偏差値の高い大学なら、他にもたくさんあります。しかし、その卒業生たちは、国民総幸福量を増大させることに成功したのでしょうか。そこにこそ、女子大学の、何よりも金城学院大学の出番と役割があるのではないでしょうか。私は、皆さんに幸福を造り出す学びをしてほしいのです。真の幸福のありかを告げる働きの担い手になってほしいと願います。卒業したら、人々を幸福にする価値観、考え方を広めて下さい。そのような社会のシステム、会社や組織をつくってくださることを心から期待しています。
そのためには、スクールモットー「主を畏れることは知恵の初め。」を心に刻むことです。テレビやネットなどで、どれほどエンタメ情報を仕入れても、人間の質は高められません。私たちは大学時代、様々な専門知識を身につけます。しかし、そのままでは、バラバラで、道を失います。一つ一つの知識は、正しいより善い目的にそって取捨選択し、統合し、総合することが必要なのです。それを可能にするのが、本物の知恵、英知なのです。この知恵こそが、人間性を深める泉なのです。神を知ることこそ知恵の土台です。同時に、それが人生の主な目的です。人間がまことの人間となるために不可欠の知識だからです。同時に、この知恵こそ、「大きな幸福」の源なのです。
「主を畏れることは知恵の初め。」今日、講義で学ぶ知識や体験を、このみ言葉と結びつけてください。今日の学びを、幸福を生み出す学びとしてまいりましょう。
祈祷
主イエス・キリストの父なる御神、あなたが与えて下さいました大いなる幸福を感謝いたします。今日の学びが、人間の欲望に仕えるための学びではなく、大きな幸福を生み出すための学びとならせてください。スクールモットーとされているあなたのみ言葉を心に刻み、教職員と学生とが志を一つにして、金城学院大学をあなたの御心にかなう大学となるように励むことができますように。主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。