過去の投稿2010年3月28日

3月28日

☆    先週のこの欄でも集中して記しましたが、先週の「子どもの教会教師会」で、契約の子らの親と教師との懇談の時を持つこととなりました。教師会の最後のときに、わたしから提案して、皆さんも積極的に求められました。もしかすると提案が、遅すぎたかとすら思わされました。子どもの教会は、契約の子らの教会生活、信仰の養育のために、責任を担い、日夜、奉仕に励んでいます。これは、そもそも、教会全体の最重要課題に他なりません。それを、「教師会」が責任をもって、中心的に担っておられます。もとより、教師会じしん、契約の親が中心になって組織されてまいりました。

    「教会学校教案誌」の次号の特集は、契約の子の教育について、60~70代の先輩の世代の証が掲載される予定です。親の願い、親の祈り、それは、何でしょうか。また、何であるべきでしょうか。「神の国と神の義を第一に求めなさい!」と主イエスは、祝福の約束をもってお命じくださいました。主イエスのこの招きを受けた、親であれば、我が子の信仰の継承、信仰告白を第一に求め、祈ることへと必然的につながるでしょう。何をおいても、子らが家庭で祈りをし、子らと共に祈る家庭生活を営むことが求められています。そのために、「リジョイス」には、「いのちのパン」が掲載されています。これもまた教会学校教案誌に掲載されていた子どものための聖書日課でした。大会教育機関誌は、わたしが大会教育委員会の委員のときに企画されました。創立60周年を記念する、ほとんど唯一?の、積極的企画ではないかとすら思います。このために、大会は、機関誌委員会を組織しました。しかも大人のためだけではなく、子どもの聖書日課という、これは、他の教団にもこのような規模での刊行は、例がないほどの働きになりました。

   自分自身の子育てについて、本当に、模範的なことは、何一つ示しえない、不甲斐ない父親であると自覚し、恥じる者です。しかしそれだけに、皆さまには、何としても、信仰告白、信仰の継承のために、大会がなしているこの「いのちのパン」を利用して、共に祈って頂きたいと思います。

    幼児洗礼を受けることが許された契約の子らは、まさに恵みです。しかし、私どもの兄妹の中には、40~50代で、すでに子どもたちが中学、高校生になって、信仰に導かれた仲間も少なくありません。また、どうしても伴侶の許しが得られずに、小児洗礼を受けられずに歩んだ仲間もいます。置かれた状況は、異なります。しかし、その祈りと願いと、なすべきことは、一つではないでしょうか。子どもたちの信仰教育の課題、家庭の課題があります。また、名古屋岩の上教会としての課題もあります。今回は、特に、子どもの教会の課題として、責任として、契約の子の信仰教育の課題について、自由に分かち合えればと思います。言わば、PTAのようなカンジでしょうか・・・。

    現代の日本で、教育について、若い親の世代がどれほど不安を覚えているかということが、大きな社会問題になっています。「虐待」の問題などは、その突出した例です。しかし、ほとんどの親は、親になるための学びを経ずに親になります。親じしんが、子ども時代に受けた養育を模倣するわけで、そこに既に、私どもの世代の課題があります。しかも、子どもたちが置かれた状況は、「子どもとして」生きる上で、極めて困難な状況のように思います。・・・、とにかく、先ず、一度、集まって、共に状況を分かち合い、自分の子はもとより、教会のすべての契約の子らの健やかな成長のために祈りましょう。

★   受難週を迎えました。今年の受難週、どのように過ごされるでしょうか。それこそ、リジョイスに導かれることも、幸いでしょう。また、自分じしんで、特別な何かを課して、主の御苦しみを仰ぎ見ることも有益と思います。また、同時に、日々、営んでいる霊的な歩みを重ねて歩むだけということもまた、まったくその通りとも思います。復活の喜び、聖餐の食卓の祝いが、喜びに溢れたものとなるために、過ごすことが要です。
☆   祈祷会で学んでまいりました「信徒の手引き」第4章・5章も終わりが近づきました。先週、この「草稿」に重ねて手を加えた言わば最終「草稿」を委員会に提出しました。文章を書くこと、それは、本当に大変・・・、つくづく自分の非力を覚えさせられました。同時に、これまでのように求道者の方と、膝を突き合わせての学び会、入会後の学び会こそ、神から与えられたわたしの主要な務めであり、このために時間をどれだけでも費やすべき事、その喜びを思わされます。

★   ○姉が、イギリスのサセックス大学に留学すると、子どもの教師会で報告したとのこと。4月8日に発つとのこと。「会員祈祷課題」にも、将来の道を求めて祈りを要請していました。神の導きが示され、開かれたと言うことでしょう。春、四月。おひとり一人、祈りつつ、各々、主の道を歩まれますように。