過去の投稿2010年4月11日

4月11日

☆   15周年記念誌「Soli Deo Gloria!」の冒頭、牧田吉和先生の文章をお読み下さったかと思います。【現在のわたしには、改革派教会が60年を経た今抱えている根本的な課題は「伝道と霊性」の問題であると痛切に思えるのです。この点における改革派教会への貢献こそが、私が岩の上伝道所に期待することです。】とあります。わたしもまた、この認識を「痛切」(!)に共有しています。そして、まさに貢献する志をいよいよ燃やします。

☆   中部中会も先週の第一回定期会を終え、いよいよ新年度が始まったことになります。4月は、学校、会社でも新しい年度の開始です。教会の年度は、1月~12月ですが、この月、あらためて教会の歩みを点検することも、幸いだと思います。「自給と教会設立を目指し、加速すること」これが、私どもに与えられた祝福された課題です。心を一つにして、この道を歩み続けましょう。そのために、共に祈りを集めましょう。

★   先週より、朝の祈祷会が水曜日となりました。○○兄は、火曜日に来られたとのこと・・・。月報の故でしょうか・・・。祈祷会は、私どもの教会形成にとってまさに心臓部です。私どもの教会は、これまで、何度も何度も、困難の壁を、祈祷会によって乗り越え、神の御業を見続けてまいりました。共同の祈りを、重んじた歴史、伝統です。週報の報告欄でも、昨年末から、「今週も祈祷会を大切に」と繰り返しています。委員方が呼びかけられます。委員にとって、どんな奉仕にまさって、共同で祈る奉仕こそ、基本中の基本です。それだけに、皆様にも、共に祈りましょうと呼びかけるのです。お仕事の状況で、朝の祈り会から夜に変更を余儀なくされた姉妹がおられます。申し訳ない思いも致します。大変なやりくりをなさって、駈けつけて下さることを思います。週日の祈祷会出席のための犠牲を払うこと、改めて呼びかけます。私どもの務めです。キリスト者は、この世界のために、教会のために、「祭司」の務めを与えられているからです。出たい人、出れるときだけ・・・では、本来、ない公的集会です。どうぞ、あらためて、祈祷会から足が遠い仲間たちに呼びかけます。犠牲を払って下さい。

★  先週、また求道中の仲間からメールを頂き、とてもうれしく思いました。「前もってご連絡しておけば良かったと後悔しております。これからは必ず休む時にはご連絡申し上げます。」もとより、私の方から連絡をお願いしたわけではありません。会員なら、当然ですが、求道者ですから、その責任はまったくありません。あまりに嬉しく、このように返信しました。「本当に、感謝に堪えません。教会は、神の民の集いです。神の民は、「民」として神の御前に立ちます。羊は、一匹で存在せず、常に、羊の群れとして存在します。聖書、とりわけ主イエス・キリスト御自身が、キリスト者を「羊」と呼んで下さいました。御自身は、「良き羊飼い」と自己紹介されました。・・・」私は、この群れの牧者(牧師・説教者)として、教会を、まさにいのち溢れる緑の牧場として整え、神の民である教会の交わりの内に、一匹も迷い出ることなく、天国へと生き生きと行進するために、御言葉の奉仕者になりたいと、ひたすら祈ります。

★    先週の説教で、初めて祈祷会に出席した求道の仲間のことを紹介しました。先週の夜の祈祷会には、また、初めて出席された求道の友が加えられました。「信徒の手引き」の学びではなく、中部中会定期会でなした説教「審が貫かれて、赦しとなる。」を語り直しました。まさに、ふさわしいテキストでした。

☆   主の日の朝の祈祷会は、10時5分頃~20分までの、わずかの時ですが、大切にしてください。この集会は、平日に祈祷会に来れなかった方々のための集会です。執り成しの祈りをなすことは、できません。また、祈祷会の代わりになるものでもありません。祈祷会の学びのエッセンスだけ、お伝えしています。

☆   「会員祈祷課題」の中に、わたしの祈祷課題として、○○委員が、「悪魔からの誘惑から守られますように。」と記して下さっています。「主の祈り」の第6祈願です。牧師こそ、最も悪魔の攻撃にさらされている、そのような理解があるのでしょう。最も避けたい奉仕である議長の奉仕が始まりました・・・。御加祷下さい。

★  ○○兄との加入後の学び会もついに終わろうとしています。全ての方と同じように、「子どもカテキズム」を通して、教理を学びます。教理は、一生涯に渡って、「体得」されることが求められています。前回、「宿題」が話題になりました。祈りの宿題です。キリスト者の生活、信仰生活は教会生活であり、それは、具体的には毎日、祈る生活です。食前の感謝祈祷、リジョイスを用いての祈祷、祈りの生活を身につける、体得する道です。祈りの模範、手本としての「主の祈り」に導かれ、神とのいのちの交わりを楽しむ生活を、求める事です。