過去の投稿2010年5月8日

5月2日

☆  先週は、高蔵寺教会の20周年記念講演会に、委員全員と○○兄、家内とで出席致しました。新会堂、 牧師館のお披露目をも兼ねた集会でした。仙台教会の吉田隆牧師から、教会形成についての講演を伺いました。わたしは来賓扱いを受け、挨拶を致しました。牧師夫人の○○姉の出身教会として、やはり特別の思いをもって、祈りに覚え続けています。

★   吉田先生の講演は、中部中会の信徒研修会でも伺いました。今回のものは、その補足のような内容でした。聖書の教会像は、まさに多用なイメージで描き出されていることが指摘されました。同時に、改革派教会の教会像も、きわめて重要な聖書的教会像ではありますが、そのすべてを網羅しているわけではないことも指摘されました。これは、現実の日本キリスト改革派教会においては、まさに当てはまる指摘であると思います。しかし、本来、「改革派」という教派であるということは、徹底的に聖書に即し、しかも聖書全体に即することを目指していることであるはずです。そうであれば、これは、日本キリスト改革派教会が改革派伝統を豊かに継承しきれていないということを意味するでしょう。私どもは、「全聖書」に即す教会像という、言うは易く実現するのははなはだ困難ですが、この旗印を降ろしてはならないはずです。

☆  私どもの弱さを克服するために、「ヨハネの神学・ヨハネ文書」を展開することの重要性が指摘されました。わたしもまったく同感です。日本キリスト改革派教会が、制度的教会の形成は堅実になされる反面、「いのち」ある教会、「交わり」に生きる教会の側面が弱くなっていることが、課題であるということは、その通りと思います。それが20周年宣言で克服されることを目指したのですが、「教会の生命は礼拝にある」との言葉がうっかりすると「形式的」礼拝の充実に力が注がれ、礼拝の生命そのもの、福音そのものでいらっしゃる生けるイエス・キリスト、生ける神を見失うことがありうると指摘されました。「そんなばかな!」とは言えない現実があると、わたしも思います。そのために、どうすればよいのかが問題です。私どもの「答え」は、明らかです。私どもの教会が重んじる「祈り」・「祈祷会」、ここにこそ、その克服の大きな力があります。

★  教会形成には、今いる教会員が、「このような教会になりたい」とビジョンを持つのは大切であるが、現実には、導かれる人によって変えられ、定められて行くのではないか、それが教会の本来の姿ではないかと指摘されました。まったく同感です。その意味で、各個教会は、一つひとつまさに個性的になるのです。聴きながら、牧師の賜物、その個性も極めて重要であると改めて気づかされました。牧師が、その賜物を生かせる教会であれば、教会にとっても本人にとっても、幸いです。しばしば、牧師の転任の背景には、牧師が自分の働きの「限界」を感じるということがあります。新しく救われ、組み入れられる会員の存在、その方々が生かされる教会の形成そして牧師の賜物の発揮・・・、まさに、教会とは、枝である一人ひとりが、主にあって生き生きと奉仕できる体制を整えることが要であると、当たり前のことながら、認識を新たにされました。

☆   来賓挨拶で、高蔵寺教会を産み出した春日井教会○○長老が、これから二つの教会でまた力をあわせて新しい開拓伝道に挑戦したいとの発言をされました。高蔵寺教会の○○長老は、その言葉を待っていたと発言されました。お二人とも、すでに高齢の長老です。それぞれに、退職後、神学校に学ばれました。本当に励まされます。そして、反省させられました・・・。私どもは、16周年。自給と教会設立を、心から祈り求めましょう。「何としてでも」との強い思いが不可欠です。

★   古い話となりましたが、鳩山首相の所信表明演説に、マハトマ・ガンジーの「7つの社会的罪」が紹介されました。しかしただちに、ご自分の資産が「労働なき富」そのものではないかとの批判が挙がりました・・・。 私は、あらためてガンジーの偉大さを思わされました。宗教についての言及に、ガンジーの「深さ」の真因を見る思いがします。
?原理なき政治  ?道徳なき商業  ?人格なき教育  ?人間性なき科学   ?労働なき富  ?良心なき快楽 、最後に、?献身なき宗教(Worship without Sacrifice)です。
ワーシップは礼拝、サクリファイスは犠牲とも訳します。自己犠牲のない教会生活はあり得ません。神の自己犠牲、キリストの十字架による救いこそ福音の真髄ですから、まさに?は、キリスト者の基本です。伝道への献身・・・。

   週報の「祈りの課題」には、すでに長く「辺野古移転阻止」と記載しています。「祈祷のしおり」には、1年以上前からの課題にしています。もし新政府が、普天間基地を辺野古に移設するなら、沖縄に対する本土の差別構造とその意識は時計を進めるどころか、逆戻りさせることでしかありません。この祈りを、諦めず、祈り続けたいと思います。民主党政権が、「憲法改正」へと進む危険を内包していることも、祈祷課題です。