過去の投稿2010年5月14日

インターネット放送

今週の月曜日、ラジオ福音放送FEBCの特集番組「東海の牧師たち」で、わたしの「証」が放送されました。今現在は、インターネットで視聴ができるようです。http://febcjp.seesaa.net/category/6313493-1.htmlそのせいか、月曜日には、私どものこのブログにアクセスしてくださった方が54名と、いつもの三倍近くになりました。

思えば、既に、延べ16,000人もの方々がわずかでもここをご訪問くださいました。(たまたま、通りすがりのような方も少なくないのかもしれませんが・・・、しかし、その方々のためにも、主の恵みが豊かにありますようにと、今、あらためて祈ります。)心から御礼と感謝を申し上げます!

さて、「証」をする。本当に、恥ずかしい思いを禁じ得ませんでした。「恥は我がもの、栄光は主のもの」という言葉がありますが、なかなか、恥をかきたくはないものです・・・。しかし、神がなさったみ業を語るとき、同時に、自分の惨めさ(罪)を語ることは避けられません。

 実は、放送で、カットされた言葉があります。
「さて、このシリーズは、牧師である自分じしんのことを語りなさいとのことです。実は、CBCラジオで毎週日曜日の朝6時から、「キリストへの時間」というラジオ放送を私どもの教会も加わって提供しています。わたしも委員の一人でときどき、スタジオのマイクの前で福音を語ります。牧師は、礼拝堂の中はもとより、どこでも、人々の前に立って語ることがその主な務めであると思います。しかも、そこでしていることは、つまるところ、聖書の全体を解き明かし、何よりも主イエス・キリストを紹介することに尽きます。牧師になって既に21年が過ぎたのですが、今回の依頼を受け、自分自身を語るということは、極めて稀なことだということに、気づかされた次第です。」
 
昨日、委員会の折、後で同じ番組に登場される名古屋教会の木下牧師と短くお話しをしました。「気づけば、名古屋岩の上教会で自分の証をしたことは、ほとんどないなぁ」すると、先生も、「豊明教会では、転任の前に一度・・・、名古屋教会では、まだしていないかも・・・」と。

ここに、おそらくは、日本キリスト改革派教会の教師の一つの特徴があるのかもしれません。しかし、同時に、「証しをすることは、大切なことだ」とも確認し合いました。もとより、自分のこと(体験)を主に語るということは、御言葉の教師としては、よほど慎重で抑制しなければならないと思います。しかし、説教の背後、その根底に、個人的な主イエス・キリストとの交わりは決定的に大切です。それなしに、真実な説教たりうるかと思います。

 愛する教会の皆さんには、あまり宣伝していない(・・・!)のですが、もし、まだ主イエス・キリストにお会いしていらっしゃらない方で、この欄を見て下さった方は、一度、お聞きください。

 余談ですが、昨年の8月、中部中会と宣教協力関係にあります、東釜山老会(中会)のキム・ソンボク牧師の教会で説教させていただきました。その説教動画を発見しました。とても不思議な思いが致します。韓国の教会のインターネットから、自分の説教を見る、聞くとは!http://church1.or.kr/zboard/skin/hancoma_movie_sermon/multi_player/multi_player.php?id=sermon_vod&no=623

http://church1.or.kr/zboard/skin/hancoma_movie_sermon/multi_player/multi_player.php?id=sermon_vod&no=623

 韓国の兄妹たちは、日本人であるわたしの説教にも真剣に耳を傾けてくださいました。夕方、お訪ねしたもう一つの教会では、会衆から「アーメン!」との声が返って来ました。日本では、およそ経験しない反応です。これも、悪くないと思いました。それぞれの国において、聖霊の豊かなお働きがあり、それに応えるキリスト者の群れがあります。私どもの教会では、「アーメン!」と声に出す人はひとりもおりません。しかし、心の中では、「アーメン!」だと思います。

 先週の月曜日の朝、まさに、前日の説教に心の中で「アーメン!」と応答されたのだと思いますが、一年余り求道された兄弟が、お電話で、「洗礼を受けたいのですが」と・・・。既に会員たちであれば、毎週、説教に押し出されて、日々の信仰の旅路を歩んでおられると思います。そのような説教を語ることが説教者、御言葉の教師・牧師の本務です。そのために、悪戦苦闘するのが、牧師の姿なのだろうと思います。

 説教原稿を読んで下さる方もいらっしゃいます。本当に感謝致します。しかし、説教は、聴くものです。どうぞ、近くにお住まいの方は、肉声を聴いて、共に神を礼拝致しましょう。どうぞ、お気軽にお越しください!