過去の投稿2010年5月31日

5月30日

☆    本日は、○○兄の洗礼入会式及び○○姉の信仰告白式を挙行致しました。教会にとって、最高の喜びはやはり、洗礼入会式挙行のとき、また信仰告白式挙行のときです。先週は、聖霊降臨祭を祝い、聖餐の礼典を祝いました。本日は、このお二人を迎えて、初めて聖餐を祝います。

    いつも書いたり、申しあげたりしますが、本日、名古屋岩の上伝道所は、新しくされました。お二人の名前が現住陪餐会員に加えられたからです。○○兄の試問会のとき、いつものように申しあげました。洗礼を施し、会員として迎え入れる試問のときは、牧師じしんが神に問われているということです。「あなたは、この兄弟のために、最善を尽くして牧会するか。天国へと導くか。キリスト者として訓練を施し、神の栄光のために豊かに用いられる器に育てるか・・・」と、洗礼入会志願者との学びの中で、わたし自身も愛が問われ、牧師としての責任を思わされます。「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、4:13 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エフェソの信徒への手紙第4章12-13節 新改訳聖書)

    しかし、ご本人も、この時を迎え、大きな信仰の問いを神から、そして自ら問われたことかと思います。そして、ついには、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネによる福音書第15章)との主イエス・キリストの恵み以外に、救いも信仰もその確かな根拠はあり得ないこと、ただ恵みのみによって、これまでも、そしてこれからも支えられ、従うという喜びの志が与えられたのです。「それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(16節)主イエスは、お二人のそれぞれのご生涯に、計画をお持ちです。豊かな実を結ぶ!しかも、その実は、永遠の実り!なのです。

     医師として、高校生として、それぞれに教会生活に励まれますようにと祈ります。その意味では、お二人とも忙しい・・・。しかし礼拝式そして諸集会を重んじて行かれる(最善を尽くす)なら、必ずや、それは、実現されることを確信します。それでダメであれば、それは、教師、説教者の責任と自覚しています。

   何よりも大切なことは、共同体的信仰です。共に歩むことです。祈りの交わり、群れから離れないことです。教会は、信仰においてもその人格においても不完全、弱い者の集まりです。しかし、その兄弟姉妹を愛する(神からの)訓練から逃げないことこそ、要です。神の家族は、(基本的には)選べないはずです。お互いに与えられたこの交わりを、聖霊の豊かな交わりとなるように育て、建て上げて参りましょう。教会の形成に励みましょう。既に洗礼を受けている私どもも今朝、新しくされます。自分の洗礼の恵みを更新させられるときともなりますように!

★    伝道月間が終わりました。2万5千枚もの伝道新聞を配りましたが、それをご覧になって来られた方は、金城卒のご婦人お一人でした。それ以外は、会員の声掛け、お誘いです。これは、当然のことです。しかし・・・、それでもやはり、「新聞・チラシ」の効果の低さを思います。キリスト教への関心が薄い・・・。それが現代の、この地域の特徴なのでしょう。そうであれば、新聞を止めることは致しませんが、いよいよ、「個人伝道」個人的な声掛けが、どれだけ大切であるかが分かります。午後の読書会では、「個人伝道」の4回目の学びでした。出席者は少なく、残念でした。○○姉が、一気に何人も、お誘いくださったのですが、「魂を救いに導く」個人伝道の学びをしている読書会に、それ以前においての、人格関係や気楽?な声掛けも大切なことを分かち合っていただければと思いました。

☆   インターネットのFEBC放送では、なお、わたしの証が聴けます。教会員ですら、わたしの証を聴いたことがない・・・。朝の祈祷会で、「とてもよかった・・・」と。これは、私どものブログにも記したのですが、改革派の牧師は、「自分の証」を説教でなすことは、ほとんどないのではないかと思います。しかし、「恥は我がもの。」あのサマリアの女性のように、自分の上になされた恵みを語るためには、自分の「恥ずかしさ」をさらけ出す以外にないと思います。しかし、恥ずかしいです・・・。さて、お二人の証は・・・。後日、月報で・・・。

★   朝の祈祷会で、○○君と一緒でした。いっしょに、お祈りできるのです。「主の祈り」も、きっと、自分の中では祈っているのでしょう。大人の祈りの抑揚を真似しています。先週のひかりちゃんの献金祈祷も嬉しいときでした。子どもたちと共に信仰の道を歩めることは、なんと幸せな牧師、教会でしょうか!!