過去の投稿2010年6月22日

6月20日

☆   先週の礼拝式後、おにぎりを頂いて、すぐに、清掃のディアコニアを行いました。多くの兄姉が加わって、公園の通りの側溝の清掃、草むしりをしました。大きな赤紙の袋に30袋ほども集まりました。天候が案じられましたが、雨曇り。丁度、よい天候でした。前日のように30度を超える中での作業であったら、かなり「堪えた」かと思います。最後に、もういいですよ、とでも言わるかのように、雨が降って来ました。教会のディアコニア実践の最初の一歩です。もとより、会員、お一人の中には、すでに教会から「派遣」されて、実践に勤しんでいる仲間もいます。委員を中心にしながら、なお、教会のディアコニアを「開拓」できればと祈ります。

★   奉仕の後、ひとりの仲間から、「洗礼を早く受けたいと思っている」と・・・。教会の伝統では、「復活祭、聖霊降臨祭、降誕祭」において、洗礼入会式を挙行します。私どももまた、その伝統を基本的には踏襲してまいりました。しかし、聖書的な根拠はまったくありません。○○兄には、「聖霊降臨祭の後は、半年以上、洗礼式はありません・・・」と申しました翌、月曜日にお電話を頂き、聖霊降臨祭(委員不在により一週遅れましたが・・・)の挙行決定となりました。洗礼入会志願者とは、マンツーマンで、「教理と生活」を、「子どもカテキズム」を通して学びます。もとより、学び終えなければ、洗礼を受けられないわけではありません。現在も、○○兄とは毎主日の午後、90分、時に、2時間も向き合いながら、学びを続けています。

洗礼入会の喜びの日が主によって備えられますようにと、なお、日々、祈り続けます。ご本人も、聖餐の礼典を目の前にしながら、(今回は、聖霊降臨祭、洗礼入会式、第一主日と三回連続で聖餐の礼典を祝いました)いよいよ、「飢え渇き、空腹感」が募られます。しかし、それもまた、主のご計画の一つであると信じます。聖餐の礼典!このいのちの食卓への招きが、洗礼へと私どもを急がせる要因の大きな一つなのです。

☆  先週の説教テキストは、新共同訳の小見出しでは、「弟子の覚悟」とされています。この小見出しは、まったく便宜上のことで、メッセージを要約しているわけではありません。おそらく、編集者は、「先ず!」わたしに従えとの主イエスの御言葉が深く心に響いたのでしょう。主イエスは、あらためて山上の説教で語られた「先ず、神の国と神の義を求めなさい!」と、あの弟子にも、真剣なる愛を込めて、救いへと招かれたのです。
人生において、主イエスを後回しにする理由は、地上に一切、存在しません。「父を葬る」これすら、主イエスさまを、第二にする理由にはならないのです。(皆さまから、礼拝式を休むと相談されるても、「それなら、しかたがありあませんね。」と、言いたくても(?)言うことは許されていません。)しかし、学びましたように、主イエスさまこそ、他の誰よりも深く、彼の父の葬儀のこと、また、母や肉親、遺族の悲しみを覚えておられます。そのイエスさまだからこそ、「肉親の情を断ち切れ」などという意味で仰ったのでは、決してありません。主イエスさまの愛と恵みを第一にするときこそ、私どもの家族の救い、神の救いの計画が進展するのです。主イエスのこの会話の中に込められた、計り知れない、深い愛を思うとき、ただ、感謝と讃美あるのみです。それなのに、なお私どもは自分勝手に、「自分のことは、自分の力でもやり遂げなければ」、などと浅知恵をもって、主のお計らいを自ら壊し、自分らしい自分になる救いの道を、ぐにゃぐにゃにしてしまうことがなんと多い事でしょうか。主の愛を信頼しましょう。主の真実は、私どもの愛と真実等と比べられないほどのものなのです。「先ず」「第一に」神を神とし、主を主とすることを、祈り求めましょう。聖霊を求めましょう。

☆   「ゾウムシ」!○○委員の文章を読みながら、その信仰的勧めの内容と説明に関心、しきりです!私どもも、「ミ・レ・オ」に集中し、何よりも、委員の呼びかけに、応えましょう。「今月も祈祷会に励みましょう!」 (月報の充実ぶりに感謝しています!委員の文章が終われば、いよいよ皆さまに奉仕依頼が来ます!!)

★  柏木先生のチラシの「詩とイラスト」、まさに、説教を聴いて生きるキリスト者ならではのものです。
「だれにでもある。  いのちを聴く目は  心にある  こころを観る耳は あなたにもある  だから、安心して。」
  説教聴聞とは、耳で聴きながら、心の目で観る(=礼拝)行為です。御言葉は神のいのちです。誰にでもあるはずの「聴き、観る心」はしかし、罪によって死んでいます。それを、生かすのもまた、主の言葉なのです。
   友人知人にこの《詩とイラスト》を話題にして、柏木先生の講演に、ひとりでも多くの方をお誘いしましょう。

☆   菅首相の所信表明演説に、「時には自国のために代償を払う覚悟ができるか。国民一人ひとりがこうした責任を自覚し、それを背景に行われるのが外交であると考えます。」と。聞き捨てられません。危険です。

★  甲子園教会の○○牧師より、15周年記念誌への応答をA4三枚びっしりと頂きました。「嫉妬に近い思いで、記念誌を拝見しました。~」現在、お体を弱くしておられますが、「改革派」を憂える真情に共鳴させられます。