過去の投稿2010年6月29日

6月27日

☆   大会教育委員会は、これまで、「信徒の手引き」の出版に向けて、仕事をしてまいりました。もとより、全会員の教育的なテキストを表すことも尊い務めですが、私どもの委員会の最大の主題は、「教会教育の本質」を明らかにし、なによりも「教案」等を大会に提示することにそ、あります。そのために、歴代の委員会は、いくつものサンプルを提示してまいりました。しかし、多くの支持を得るまでには至りませんでした。

★  わたしは、加入以前から、何故、日本キリスト改革派教会は、定期的な教案誌を発行しないのか、素朴な疑問を抱いておりました。教育的伝道を旗印にする教会であれば、おそらく常識的に考えて、当然のことと考えたからです。加入したての私は、有志とともに教会学校教案誌を定期刊行する企てに着手しました。二年間のカテキズムカリキュラムをたて、とりあえず、何があっても2年は、継続的に季刊発行するとの、悲壮な決意で出発しました。9年前のことです。以来、一度も、しかも、遅れることもなく今日まで至りました。大会からの発行を願い、6年前になるでしょうか、大会教育委員会は大会に「提案」しました。しかし、否決され、再提案をすることなく、今日に至っています。こうして委員会は、根本的に改組され、わたしも委員に加わりました。しかし、実質上は、日本キリスト改革派教会において、子どもの教会に取り組んでいるところのほとんどの方に評価されているのではと思います。

★   「教会学校教案誌」のカリキュラムのために、「子どもカテキズム」を編みました。これは、実は、「岩の上子どもカテキズム」がベースになっています。当時、「教理アレルギー」をもっていた会員を何とか、改革派神学の骨格を学んで頂きたいという、実は、大人のためのカテキズムとへの橋渡しをも考えていました。ですから、その意味では、「子ども」ということは、厳密には、子どもと大人(しかも求道者にも・・・。私どもの受洗者はみな、このカテキズムで信仰の足腰を鍛え、何よりも救い、信仰へと導かれたのでした。)のためのもので、子どもたちには、(星の王子さまの序文ではありませんが)謝らなければなりません。

☆   今回、いよいよ大会教育委員会で、「子どものためのカテキズム」の作成へと動き始めます。実に、すばらしいことで、感慨もひとしおです。

★   また、子ども伝道を大会的に推進することを、委員会として、その責任を果たそうと腹をくくることもできました。これも、また、本当に感謝です。ただし、私どもの教会は、ついこの間まで、地域の子らであふれていましたが、今は、契約の子中心です。「引っ張る」ことができません。しかし、子どもたちが来ていない教会の牧師でも、なお、子ども伝道に一生懸命であれば、他の教会・伝道所の励みになるかもしれません・・・。

☆   私どもは、教会を挙げて、子どもの教会を育てる決意を新たにしたいと願います。夏、キャンプに出席した子と出来なかった子では、決定的な「差」が生じると言われます。「サマーデイズに出席しなかったら、一生の損!!」とある高校生が後輩に、語ったそうです。

★   教会学校教案誌のまえがきに二宮先生がこのような文章を寄稿されました。「数の多い少ないが問題ではありません。教会学校が本物の教会かどうかが問われているのです。主イエスが、生徒ひとりひとりを選び招いておられ、喜び迎えてくださる。心から褒めておられ、安息日を共にしてくださる。人格として扱っておられ、弟子の道を示してくださる。その恵みを教師も親も信じ抜くこと、その恵みに仕えて子どもたちを愛し抜くこと。そこには、主のゆるぎないご支配が存在すると確信しています。生徒は必ず、聖霊を注がれ、主イエスに結ばれ、御父を崇めるようになる。その約束された未来を、背中にひしひしと感じながら、希望をもって祈り続けます。」まったくその通りと、感謝して読みました。どうぞ、子どもの教会のために、祈りとご支援を。

★★  個人伝道の学び会も佳境に入ります。本日は、わたしの話を聴く、学ぶという受動ではなく・・・と考えています。5月の伝道月間から8月の伝道講演会へと続く、各々の伝道への取り組みが祝福されますように。 
何故、「リジョイス」に伝道ハガキが加えられているのでしょうか。毎月、誰か一人に書き送る為です。 決して、捨てないでください。利用できなければ、来る伝道講演会のチラシと共に・・・、教会で使用可能です。

☆   牧師は、教会に来られた方とまさに「個人伝道」をして、求道者へと導きます。さらに、求道者から、洗礼入会志願者へと導きます。そして、入会した後も、牧師はもとより教育の責任を担います。しかし、そこでこそ、最も大切なのは、信徒ひとりひとり(厳密には、役員が中心)です。会員の背中で、新しいキリスト者は、教会生活を学び、育てられます。「よき背中」を見せることができることこそ、教会の実力です。開拓教会の弱さは、まさに、そこにありますが、しかし、もう、15年の歩みです・・・。ひとり一人、成長を祈り求めましょう。