過去の投稿2010年8月22日

8月22日

☆  先週の主の日は、「敗戦記念日」と重なり、いつもは、「子どもの教会教師会」の週でしたが、読書会を行いました。当教会の教会形成にとって、決定的に重要な意味を持つ集会です。18名の出席者で、最も感謝したことは、高校生の仲間が初めて加わってくれたことです。しかし、学んだ内容は、あまりにも厳しく、重いものでした。私が知ったのは、大学生・・・。出席がかなわなかった会員は、必ず、原稿をお読みください。

★  このような率直な問いが出されました。「昔のような厳しい状況になったら、どうしよう・・・。自分は、抵抗できそうにない・・・」私は、「今、自分の目の前にすでに戦いがあるはず。神のみを神とする、この戦いを生活の中で、重ねてゆくこと。 もし、その時になって、対応しようとするなら、抵抗できるはずはない。今、すでに着々と、そのような方向へと進んでいる現実を見抜き、それと戦うこと。私たちの教会は、このような学びのときを重ねてきた。これからも重ねて行く。こうして積み重ね、掘り下げてゆくこと、これが大切・・・」と。

☆  懇談の折に、ある委員が、「日本キリスト教団で、これを語ることは、大変、大丈夫?・・・」と案じて下さいました。当日は、読書会のように脱線せず、淡々と、語りました。そして、質疑。お一人(牧師)だけ、想定内の応答を頂きましたが、その他は、肩すかしとも言える、質問でした。集会後、一階で、残った牧師方とよき交わり、懇談させていただきました。今回、「日本キリスト教団」を深く、徹底して神学しなければならないとあらためて痛感、いへ、これまでよりはるかに強く思わされ、帰路につきました。

★  講演や読書会の「だいご味」すばらしさは、質疑応答や何よりも「討論」ができることかと思います。講演も何より説教こそ、聞き流されては、力がありません。自分にとって、受け入れられる事柄だけ、理解できることだけを心や頭にしまっているだけなら、「変化・改革」がありません。新しくされません。

☆  私ども日本の教会は、おそらく「日本」(政府・国民)よりはるかに、戦争責任を「あいまい」にして過ごして来たと思います。真実に責任を担うことも、悔い改めることもせず、当時の指導者たちは、「風化」に任せようとしたのではないかと思うのです。この「あいまいさ」こそ、実は、もっとも信仰の対極に位置するあり方ではないでしょうか。「教会(教派)とは何か」これを、あいまいにして、神の教会の形成に奉仕することはできません。「伝統」から切断されることを意味するからです。確かに、教会の戦争責任を考えることは、社会科学の知識や認識を深めることへと、私どもを促すことは、まったく否定しません。しかし、それよりはるかに、大切なことは、「神のみを神とする」という信仰の基本の問題を掘り下げることです。そうであれば、それは、昔の問題ではなく、現在のキリスト者と教会のあり方そのものを、正すことに直結します。

★  「悔い改めよ。天国は近づいた。」これが主イエスのメッセージと奇跡の「内容」でした。誤解されやすいのですが、「悔い改め」とは、戦争の被害者たちにするものではありません。「過ちは繰り返しません。」と反省することは、私たちの心からの決意であるべきです。しかし、キリスト者は、罪の問題を解決する以外に、立つことはできないはずです。罪とは、神との関係です。神の御言葉に背くことです。神のみを神としないことです。おかしな表現ですが、事柄を明らかにするために、記しましょう。「神に対する悔い改め」、これこそ、私どもが日々、深めてゆくべきものです。そのためには、「何を悔い改めるのか」を、知ることが必要です。過去の事実を知ることが基本です。過去を「あげつらう」ことは、何の意味もありません。神が私ども日本の教会に真の悔い改めを与えてくださることを、共に、心から祈り続けてまいりたいと思います。もしも、人間的な弁明を続け、不真実を貫くなら、神の真実なる裁きを味わい続けるでしょう。読書会の折、質問に答えてこう申しました。これは、まさに講演の鍵となる訴えでした。「神は神の教会を御自ら「守り!」たもうのです。教会がキリストの主権に服するとき、神の栄光のための唯一無二の道具として用いられるでしょう。Coram Deo!この幸いに生き抜きましょう!

☆  祈祷会で、ひとりの質問から、聖書解釈の議論へと発展させてしまいました。とても、反省しています。 ただし、先日、一人の未信の大学生の質問に触発されて、「四福音書」について学びました。今回も、良い機会ですので、改めて「創立40周年宣言:聖書について」の中から、特に、「文献的歴史的研究の必要」について、学びたいと考えています。聖書を「素朴」に(つまり、信仰の前提に立って)読むこと、これこそが、基本です!信仰なしに、聖書を正しく読むことは不可能であり、聖書じしんが認めていません。ただし、「応用」について学ぶことが出来れば、より深く・・・。いささか難しい議論もあるかもしれませんが、ぜひ、祈祷会へ!

★  猛暑・・・。冷房なしには、生きて行けない状況。あと、もう少し・・・。どうぞ、ご自愛くださいませ。祈