過去の投稿2010年9月26日

9月26日

★  先週の信徒研修会は、何といっても岩崎謙牧師のすばらしい講演によって、あらためて聖書全体から「礼拝」について学ぶことができたことが、大きな祝福、恵みでした。(・・・一昨年辺りからでしょうか、わたし自身から、中部中会の信徒研修会への参加を、積極的には呼びかけませんでした。さまざまな理由がありますが、しかし、今回、やはり、思わされました。出席なさる方は、固定しています。この数年、信徒研修会に出席されていらっしゃらない会員の皆様には、一年後の、9月第3主日の午後、ぜひとも、開けておいて下さい。どうぞ、主日の午後から夜までだけでも、ご出席ください。何と言っても、「中会が教会である」「中会なくして教会なし」(中部中会加入の学びの際、まさに連呼するように学んだテーゼです!)は、あのような全体集会に出席することによってこそ、「体感」できるはずですし、大切と思うからです。)

☆   講演内容を、要約するスペースはありません。わたしは、序論の「聖書は、礼拝への手引書」という表現を、その通りと思いました。さらに言えば、手引書ではなく、「聖書は、礼拝の書」そのものと言いきっても良いはずです。聖書解釈の大前提は、「神の栄光を賛美するために、読む」ということです。礼拝者でなければ、聖書は分からないのです。聖書を読む、いへ、御言葉を聴くことによって、私どもは、神を礼拝する者とされる、つまり救われて行くのです。私どもの先輩はそれを「礼拝的人生」と呼びました。生活、生きることのすべてが神礼拝(Soli Deo Gloria!)となるのです。そして、その中心、中核、源こそ、言うまでもなく、今
日(キリスト教安息日)、この主日礼拝式です。

★   第二講演では、神礼拝の出発を「エデンの東」における礼拝から始められました。ただ一点、残念に思った点でした。あの「エデンの園そのもの」における神礼拝こそ、礼拝の原点と考えるからです。そして、それが、完成されるのが、あのヨハネの黙示録で描き出された「ほふられた子羊なるイエスさま」への礼拝、天上の礼拝式です。しかも!その礼拝式は、今朝のこの礼拝式と繋がっているのです。ここで、あの究極の礼拝式の「前味」を味わっているのです。この点では、パネラーの兄弟の再臨についてのご質問に、岩崎先生が、「聖餐の礼典」こそ、過去、今、将来の礼拝が、今ここで、聖餐の礼典のただ中で実現するとお答えになられ、まったくその通りと思いました。そうです、聖餐の礼典こそ、その意味で、礼拝式の頂点になるわけです。そして、そのためこそ、それらの真理を説き明かす説教が不可欠となるわけです。

☆    ロンドンで9月から「改革派」の看板を掲げて新しい伝道の出発をなさった小川洋宣教師が、研修会出席者宛てに、お便りを出されました。一部、ご紹介いたします。「・・・現在、全ヨーロッパに、25以上の日本語のキリスト者の群れがございます。群れを率いる牧師や責任者・代表者の皆さまは、それぞれ何らかの教派的背景をお持ちですが、主宰されているキリスト信仰の群れは、ほとんどが超教派を謳っています。その中で、あえて「改革派」と名乗ることの意味は何か、と申しますと、まず第一に、自分の顔をはっきり見えるように示すということは、当たり前だと言うことです。インターネットで、日本キリスト改革派教会以外で、数多(あまた)あるキリスト教会のホームページをご覧になってください。この「顔」がはっきり見えない教会がどれほど多いかということにお気づきになられるでしょう。何を信じているのか、何によって立つ教会なのか、そのことを明確にしない教会は日本だけではなく、世界には五万とあります。ただのリクレーションのサークルかクラブとどこが違うのかと尋ねたくなります。・・・」小川先生の「集会」を「教会(伝道所)」として整える道を、祈ります。

★    本日、中部中会を代表する長老方(中会伝道委員会委員)としてお二人をお招き致しました。「教会設立」(小会設立)を目指す私どものために、ご自身のご経験、学びを分かち合って下さいます。お二人は、ご自分の教会はもとより、中部中会形成のために、献身しておられます。ひとりの女性伝道委員は、問安してくださった折、お二人の姿と信仰姿勢に強い感銘を受け、「かっこいい!」と・・・

☆  あの11年前の加入の際、改革派信仰、長老主義政治の学びを「正面から」(もしくは、積極的に)受けられなかったかもしれない方々も、今や、委員として立てられています。そもそも、この会堂が与えられて以降、洗礼を受け、会員になられた兄妹がたは、長老主義政治そのものの学びを、当時のように受けた方は少ないのです。ついに、大きな祈りの課題であった、経済の自給を決断した今、この日の集会を一つのエポックとして、まさに会員全体で、学びを始めるときが来ています。それを主導するのは、もとより、牧師です。ただし、それだけでは、あの11年前と変わりません。今、委員方、そして、新たに建てられる委員候補者方たちこそが、力を束にして、「教会の交わり」を形成するために、奉仕すること、それこそが、教会設立への道です。

★  ついに、秋らしくなってまいりました!降誕祭に向けて、聖霊の豊かな結実を祈り求めて進みましょう。