過去の投稿2011年1月9日

1月8日

★  「牧会通信」を今年もよろしくお願いいたします。皆さまには、どれほど、ここに記された文章をお読み頂いているでしょうか・・・。「牧会通信」にも、相当の時間を注いでいます。おそらく毎週、これほど、会員に情報を発信する牧師は珍しいと思います。一年、52回、この枠をすべて埋めるのもまた、一つの小さくないプレッシャーです。しかし、いざ、書き始めれば、いつも「枠」が足らなくなるのも事実です。それだけに、私からのお願いがあります。「牧会通信」をよくお読みください。ときに、家内との会話の中で、「読んでいないの?」と突っ込みを入れる場面があります!そのとき、皆さまはどうなのだろうと、不安になるときがあります・・・。

☆  ただし、礼拝式の前に読む必要はマッタクありません。むしろ、不要です。家でじっくりと、読んでください。通信の目的は何でしょうか。説教の目的とも重なります。それは「牧会」です。この場合の牧会とは、ひとりひとり、個別の魂の配慮というものではありません。教会を建て上げる「オイコドメオー=形成」と言う広い意味での牧会です。もとより個人的な牧会も、ただ単に信仰者個人の配慮に終わるものではありません。あってはなりません。牧会とは、その人が、キリストと結ばれ、そして最後には、キリストにある使命へとしっかりと立ちあがって行くことをこそ目指すものだからです。つまり、教会形成(福音伝道、奉仕)の為にあるのです。

★  長老主義教会である私どもの教会にとって、牧会の「務め」は、長老の「職務」と規定されています。もとより、牧師もひとりの長老ですが、しかし、信徒の中から選ばれ、立てられる治会長老こそ、牧会の務めの主人公なのです。政治規準上は、伝道所においては、宣教教師だけにこの務めが託されています。伝道所委員たちは今年、とりわけ「月報」において、積極的にこの務めを-文章においても-担うことが、確認されています。教会人として生きる基本を示し、信仰の指導者としての自覚をもって、文章を記すわけです。

☆  もし、心を込めて書き送った文章が、きちんと読んで頂けなければ、書いた人は空しいでしょう。会員「全員」がまさに「自分のこと」として読んでいただきたいわけです。同時に、誰よりも、伝道所委員方こそ、「信仰の模範」者としての自覚を深め、言葉を裏切らない実際生活をもって証しをしなければ、偽り、空虚となります。どれほどプレッシャーがあるかと思います。どうぞ、神がお立てになられ、皆さまが選ばれる委員方の「牧会通信」に御期待ください。彼らの務めを理解し、協力し、支えてください。

★  明日は、成人式です。今年4月で、開拓17年目。本当に早いものです。もはや、「開拓伝道だから・・・」と言い訳を言ったり、甘えたりすることは、恥ずべき「年齢」であると自覚すべきと思います。洗礼を受けて10年も生かされた方であれば、教会員としては、既に立派な「成人」とされてしかるべきではないでしょうか。 わたしが牧師になったのは、28歳でした。教会において、初めて説教したのは洗礼後、1年余のこと、日曜学校の礼拝においてでした。初めて祈祷会で奨励をしたのは、実に23歳です。無牧となり役員会は、祈祷会を休会とすると発表しました。わたしは、役員にかけあって、青年たちだけでも集まるから祈祷会を続けて下さいと申し出ました。こうして、就職したその春から、毎週!夜の祈祷会で、聖書を開いて、「ナニカ」を語ったのでした。何を語ったのか、ほとんど記憶にありません。きっと、いろいろな本を寄せ集め、自分の証しを語ったのだと思います。そして、翌年、神学校に入学してからは、教会に行けば、「先生」と呼ばれて、奉仕が始まったのでした。受洗後たった4年余のことです。何を言いたいのか・・・。洗礼を受けて4年経った方々・・・。こんなわたしですら、このように用いられたわけです・・・。それなら・・・。とりわけ、若い兄妹たちは・・・!!

☆   開拓17年目。受洗後、5年以上の方々が圧倒的に多いのです。もはや、基本的な指導など、必要がないハズです。ヘブライの信徒への手紙第6章1節にこうあります。「だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。」この1年、いよいよ、教会人・キリスト者としての成熟を目指して共に歩みましょう。        

★  祈祷会で 「回顧と展望」を読みます。ここにも、教会人の基本が示されています。今週から、いよいよ祈祷会が始まります!

☆  先週の礼拝式で、昨年、結婚式において出会ったひとりの青年が再来会されました。本当に、嬉しく思いました。あらためて、結婚、葬儀・・・、ありとあらゆる出会いを福音のチャンスとしたいと願います。お茶を飲みながら、短く個人伝道。お仕事と福音を結びつけ、「聖餐の食事は、神のおもてなし、招き・・・」と主イエスを紹介。個人伝道、それは、自分を救って下さった主イエスを「単純」に紹介すること。「誰でも」できる事です。