過去の投稿2011年3月6日

3月6日

★   私どもの教会は、第二、第四主日を中心に、礼拝式後、「説教の分かち合い」という集会を既に10年余り続けて参りました。私どものこの集会は今、中部中会内でも少なくない教会で実行されるようになっています。しかし、それは、日本キリスト改革派教会にとって、異質な集会ではまったくありません。むしろ、私どもの教会憲法、信仰規準である、ウェストミンスター大教理問答の「恩恵の外的手段」の第一、「み言葉」において、このように記されていますから、実に、ふさわしいことなのです。 

問160  み言葉の説教を聞く者に、何が求められているか。
答     み言葉の説教を聞く者に、次のことが求められている。すなわち、勤勉・準備・祈りをもってそれに聞くこと、聞いた説教を聖書によって調べること、信仰・愛・柔和・心の備えをもって真理を神のみ言葉として受け入れること、それについてめい想し、語り合うこと、心にたくわえて、生活の中でその実を結ぶことである。

答全体の中で、はっきりと、示されているのは、説教とは、会衆の一人ひとりの「準備」なしに、神の言葉の説教、教会(その中に!ひとり一人のキリスト者が存在しています。)を建て上げる説教として聴くことはできないということです。問い159では、当然ですが、誰よりも説教者じしんの責任を明らかにします。しかし、教会「の説教」とは、まさに「教会の」説教なのであって、説教者だけに責任があるのではないことが、問い160で明らかにされます。つまり、説教の教会的責任、教会的性質です。教会員全体が、説教に主体的な責任を担っていることを、忘れてはならないわけです。下線のように、「語り合うこと」を定めています。

☆   先日の説教において、こう語られました。【私どもが神さまを、主イエスを正しく知ろうとするなら、先ず、正 しく心を開き、正確に聴くことが不可欠だということです。私どもはいつでも、この説教においても、おそらくは皆さまひとり一人自分に引き寄せて聴こうとしているのではないでしょうか。~確かに我々は、話されている内容が、自分の日常生活のことと、自分の関心、興味、かかわりがないことだと判断すると、すぐに、耳は働いていても心は動かない、頭も動かない、こういうことはしばしばあると思います。学生たち~「ここは、テストに出るよ」こう言うと、ただちにスイッチが入ります・・・。】つまり、説教を正しく聴きとることは、聖書を正しく読むことと同様に、容易なことではありません。しかし一方で、その説教でまさに自分の内面の奥深い所を説教者は、知っているのではないかという程の説教体験を重ねる方も少なくないと思います(信じています・・・)。

★  説教で受けた恵みを分かち合うということは、先ず、徹底的に語られた言葉に集中し、基づかせます。(私どもの教会は、なんと!当日の説教完全原稿を受け付けにおいています。しかし、説教中にこれを読むことは、基本的には不可です。この企ては、もともと、幼児を配慮をするお母さんたちへの便宜のために始めたことだったからです。説教は、徹底して、読むことでも見ることでもなく、聴くことです。)

第一に、何が語られたのか。
第二に、それを自分がどう受け止めたのか。説教においてメッセージのポイントが一点に集中していたり、何点があったりします。しかも、その「ポイント」は、「説教者の意図」を越えてまさに、聴き手の生活の「座」(信仰生活の状況、課題、信仰の経験の深浅など等・・・)によって異なって響くものとなります。だからこそ分かち合いには、特別の教会的=共同体的祝福が伴うのです。

☆  説教の分かち合いの内容 を舌足らずですが、箇条書きで挙げて見ましょう。
(聖書をどのように読む《=聴く》のかということと、ほとんど同じことです。)

① 今日の説教を聴いて、あなたは、どのように慰められ(教えられ、戒められ)ましたか。
(恵みを受けた「ことば」、「内容(事柄)」を、つかむ。難しければ、たとえば、原稿のこの個所・・・と言う。)

② 今日の説教を聴いて、生活の中で実践すべきこと、改めるべきことは何ですか。

③ 今日の説教を隣人に、どのように伝えますか。(説教は自分のためだけに聴いているのではない。分かち合いのことばは、そのまま伝道、証しのことばを紡ぎだす力を養います。何より、心の思いを、とても難しいですが、言語化する作業は、自分じしんの理解を深め、確かなものとしてくれるはずです。)

④ 仲間の分かち合いの言葉を通して、新しく気づきがあたえられたことを分かち合う。
(時間があれば・・・。分かち合いの最高のだいご味はおそらくここにあるでしょう。)

★   説教の内容についての質問があれば、委員方がおらそくは、説教者になり代わって、説き明かして下さるはずです。これからも、より豊かな分かち合いを目指してまいりましょう!