過去の投稿2011年3月20日

3月20日

★  今、朝の祈祷会を終えました。今週の祈祷会は、通常の「執り成しの祈り」を「大震災」に特化して、執り成し祈ります。私どもはこの時ほど、教会の使命として祈祷、祈祷会の重要性を肌身にしみて覚えさせられることは珍しいと思います。かつて、私どもは教育基本法が改悪されたとき、「断食祈祷」を呼びかけました。 教会の抵抗が、足らなかったことを神の御前で悔い、なお、信仰の戦いのために祈ったのです。今回、それは、致しません。その声を聞きません。しかし、教会は、今こそ、福音の伝道の使命を深く自覚すべきことは当然ですが、今、目前の危機のために、普段にまして執り成し祈る奉仕に時間を捧げることが必要と思わされています。

  特に、福島原発のこと。まるで「生きもの」のように、我々に襲いかかろうとしているイメージを抱きます。この生きものは、しかし、人間が造りだしたものに他なりません。これが、無辜の人々を、そこに生きるすべての動物、植物、昆虫を、何よりも人間を死へと誘引しようとしています。そればかりか、世界中に環境破壊、被害を及ぼす危険性を現実のものとならせようとしています。今こそ、私どもには、「祈ることしかできない」のですが、しかし、「祈ることシカ」という消極的表現は、本来は、ふさわしくありません。私どもこそ、祈ることができます。だから、教会は、この奉仕に、今は、専心してもよいし、しなければならないのだと、いよいよ、教えられています。説教で、「祈りのスクラムを!」と申しましたが、日本と世界の危機回避のためにも、祈りのスクラムを組み、祈りを一つに集め、主なる神に祈りましょう。

☆   祈り会のグループで、家族から、「神はどうしてこのような悲劇を容認するのか・・・」との問いに、分かりやすく答えるには、どうすればと質問を受けました。子どもの教会の礼拝式で、この点について、最初に語りました。又、先週の牧会祈祷でも、このような祈りを捧げています。

【あなたが、創造されたはじめの世界に、このような悲惨は決してありませんでした。すべてが調和し、あなたの完璧な力によって、人間の生きるこの世界、舞台は、まさに極めてよいものでした。しかし人間の罪、あのアダムとエバの神への背きの罪によってその世界は、本来の祝福された姿を奪われてしまいました。今は、このように人間に牙をむきます。   創造者なる御神よ、私どもの罪を今こそ、憐れんで下さい。何よりも、主の赦しと憐れみなしには、人間は地上にあって生きることができない存在であることを、今一度、かみしめさせてください。あなたのみもとに立ち帰らせて下さい。主なる御神、どうぞ、私どもを今、憐れんで下さい。力を失い、途方に暮れている方々の善き隣人とならせて下さい。】  
今こそ、聖霊なる神が、神の御前に謙虚になる心、祈る心を呼び覚まされ、それが、生ける真の神へと向けて下さいますようにと祈ります。

★  今、そこでまさに倒れている人、倒れつつあるひん死の方々を、「テレビで」見ます。避難所でしかし、ほとんど避難になっていない多くの方々を見ます。中部中会として、何か・・・と考え、動き始めましたが、結局は21日の執事活動委員会までは、具体的な動きはフリーズということになります。大会・中会として、長い支援の戦いになるはずですからその体制を整えることは、必須です・・・。お宿を被災者に開放する線で、調整されるはずです・・・。しかしこのような時、私どもは、各個教会としてできるディアコニアをも、考えたいと思います。スピードが大切です。主日には、募金の趣意書が大会から皆様に配布できると思います。しかし、おそらくそれをただちに、届けることはできないのではないかと、考えています。(17日午後記)