過去の投稿2011年4月3日

4月3日

★  先週は、読書会に代え、緊急のディアコニア委員会を開催致しました。ディアコニア委員会は、これまでは、一年に、数回しか開催しておりませんでした。委員構成、それは、現住陪餐会員全員です。キリスト者はすべて何らかの意味で、「奉仕者」であり、「ディアコニア」に関わっているからです。教会員とは、誰しも信徒職に召された者です。ローマ・カトリック教会には、「信徒使徒職」という素敵な言葉があります。教会の頭にして主、王なるキリストから、キリスト者ひとり一人には、それぞれに賜物が与えられています。「天国の地上における中心的な現れ」である教会、神の国の地上における拠点である教会に奉仕する「務め・職務」です。それは、福音の伝道であり、ディアコニアです。このディアコニアの領域はまた、極めて多様です。

☆  先週の月曜日の朝、ある震災ディアコニア支援室のひとりの姉妹から、貴重な情報を教えて下さるメールを頂きました。そして最後に、「では、わたしも日本経済を支えるため会社に行ってきまーす!」と。7時59分!送信後、ダッシュで、駈けだした光景が目に浮かびます。私どもは、教会のディアコニアを始めています。主日の午後5時まで、彼らはおられました。(伝道所委員会は、5時過ぎは当たり前ですが・・・)しかし、信徒職務者は、「会社」に出勤します。もとより、自分の生活を支えるためです。しかし、それ以上のものがあります。Soli Deo Gloria!神の栄光のためです。そして、それは、「日本経済を支える」ことにも、繋がります。牧師は、信徒職務者に励まされます。もとより、先日の説教でも取り上げた素朴な祈り、「神の御心を知り、それを実行できるように」と同じこと、当たり前のことです。しかし、この当たり前をコツコツと進めて行くところに、信徒職務者、信徒使徒職の特権があります。

★  ある公立大学の「キリスト教学」の講義の導入として、「アンパンマンのマーチ」の歌詞を紹介したことがあります。実は、それまでアンパンマンのことはほとんど知りませんでした。しかしあるとき、この歌詞を読み、驚かされました。

「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び  たとえ胸の傷が痛んでも  何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。  そうだ!嬉しいんだ生きる喜び  たとえ胸の傷が痛んでも。  嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為
  何が君の幸せ 何をして喜ぶ  解らないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を 零さないで涙  だから君は飛ぶんだ何処までも   そうだ!恐れないでみんなの為に  愛と勇気だけが友達さ
嗚呼アンパンマン優しい君は  行け!皆の夢守る為
  時は早く過ぎる 光る星は消える  だから君は行くんだ微笑んで  そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも  嗚呼アンパンマン優しい君は  行け!皆の夢守る為  」
      (ちなみに、作詞者でもあるやなせたかしさんは、キリスト者です。わたしの世代であれば、「手のひら
 を太陽に」という歌になじみ深いものがあると思いますが、この詩もまた、やなせさんのものです。)
   子どもカテキズムの問い一、「問い:私たちは何のために生きるのですか。 答え:わたしたちが生きるのは、私たちの神さまを知り、神さまを喜び、神さまの栄光をあらわすためです。これが私たちの喜びです。」
  説明の要はないと思います。極めて哲学的な歌詞、そしてキリスト教価値観に基づくと言っても良いと思います。ホームページに、被災者の方々に祈りが届きますようにと、このような文章を掲載しています。 
「アンパンマンのテーマは、傷つくことを覚悟しなくては正義は行えないということと、献身と自己犠牲です。」(やなせ氏)「私どもの隣人となってくださったイエスこそ、まさに傷ついてくださいました。そればかりか、十字架で死んでくださいました。このお方が今日も、わたしの隣人でいてくださること・・・。あなたの隣人でいてくださること・・・。感激の涙を流しながら、小さな「覚悟」を日々、新しくされて、私どももまた「行って、同じようにしなさい」との甘くて、おごそかな主のみ言葉に生きてまいりたいと願います。 「恐れないで!大丈夫!勇気を出そう!!」。 「だいじょうぶ!」の声を、届けに参りたい・・・。ディアコニア委員会報告を・・!。  

☆  先週、日本在住のイスラームの方々が、金曜礼拝後、被災地にカレーの炊き出しをしに出向いて、多くの方々に喜ばれているというニュースをききました。すばらしい働きです。 キリスト教は・・・・。

★  本日の午後は、開拓17周年記念の集会を開催致します。17年もの間、単独、独立の時代をも歩み続けて、本日に至りました。当時を知る人は多くありません。それだけに、「岩の上」の志と歴史を継承しましょう!