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「渇きを止める薬」

 「渇きを止める薬」
賛美歌 67番「よろずのもの」・66番「聖なる聖なる」
聖 書 ヨハネ福音書第4章13‐14節・23節 2011年4月3日(3/16?録音)
【イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 しかし、まことの礼拝をする者たちが~】

20世紀を代表する文学と呼ばれる「星の王子さま」の中に、このようなお話しがあります。星からやって来た小さな王子さまが、一人のセールスマンと出会うのです。その人が売っていたのは、ある薬です。実に、その薬を、一粒飲むだけで、のどの渇きが、ピタッと押えられてしまい、一週間、もう何も飲まなくても良くなるのだと言うのです。
そこで、王子さまは、こう尋ねます。
「どうしてそんな薬を売っているの」
商人は、答えます。「すごく時間が節約できるんだ。」
「えらい先生が計算したところ、この薬のおかげで、一週間に53分の節約になるそうだ。」
「その53分をどうするの?」
「好きなことをすればいい・・・。」

 そこで、王子さまはこうつぶやきます。
「ぼくだったら、もし53分つかえるなら、どこかの泉までゆっくり歩いて行くだろうになぁ・・・」

 このセールスマンが、売っているのは、薬ではなく、言わば時間を売っているのだろうと思います。時間の節約、これは、現代ビジネスの中心テーマと言えるでしょう。

著者、サンテグジュペリは、この物語に重要なメッセージを込めていると思います。特に、「水」を飲む時間の節約という点にあると思います。

私は、すぐに、主イエスがサマリアの女性に語られた御言葉を思い起こします。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

私は、いったいなぜ、節約できる時間は53分なのだろうかと、いろいろ関連する書物を調べてみました。けれども、誰も書いていません。私は、このように解釈します。サンテグジュペリは、フランス人、カトリックのキリスト者です。「53分」とは、ローマカトリック教会の日曜日のミサの時間ではないか、つまりまことの神さまを礼拝する時間、日曜礼拝の象徴だと思うのです。

今朝、あなたの暮らしておられる町でも持たれる教会の礼拝式、それは、人間が人間として生きるために絶対に必要な時間のことなのです。もしも、これを節約してしまったら・・・。聖書は言います。そのとき、人は、自分で自分の心を滅ぼしてしまいます。霊的な意味で死んでしまうことになるのです。忙しいという漢字が、心を亡ぼす、亡くすと書くのは、なるほどと思います。

確かに、私たちの社会には礼拝の喜びや充実に代われるかのようなさまざまな水、つまりモノやサービスが大量に売られています。しかし、そのような地上からわき出す水を飲むだけなら、また、すぐに渇いてしまいます。空しくなってきます。その繰り返しです。

わたしたちの肉体に、水、水分が絶対に必要なように、わたしたちの心には、わたしたちのまことのいのちにとっては、イエスさまが与えて下さるいのちの水、つまり、主なる神さまごじしんが絶対に必要なのです。

どうぞ今朝、先ず、ラジオの前でご一緒にお祈りしませんか。声に出して祈りましょう。そのとき、神さまは、あなたにいのちの水、永遠のいのちにいたる水を与えて下さいます。主イエスさまが、あなたさまの心を満たし始めて下さいます。

祈祷
主イエス・キリストの父なる御神、私たちになくてならないいのちの水を与えて下さい。どうぞ今、私たちの飢え渇きをしずめ、ひからびた心をあなたで潤して下さい。そればかりか、私たちの心をあなたの泉として、湧きあがらせて下さい。