過去の投稿2011年4月24日

東北中会(宮城県)問安報告

「改革派中部」紙のための原稿
東北中会(宮城県)問安を終えて
  11年度 中部中会議長 相馬伸郎

2011年度第一回定期会にて、議長書記団から、東北中会(宮城県)問安使派遣の提案を提出いたしました。多くの質疑が起こりましたが、提案文の修正を経て満場一致可決されました。

 4月18日(月)午前3時50分、東北中会常任書記のご指導、大会緊急対策局との連絡に基づき、議長の私と副書記の梶浦和城教師とで、レンタカーで出発いたしました。林教師(亘理)、坂本教師(北中山)、吉田教師(仙台)そして白津教師(石巻)を問安させていただくことができました。25万の予算の中で、1円でも多く「教師への見舞金」をお渡ししたいと願い、東北中会常任書記の坂本教師のご指導を賜りながらも私どもの責任で、状況に鑑みつつ合計21万円をお贈りさせていただきました。
 さて、記したいことは山ほどあります。しかしここでは、ひとつに絞って私見を披歴致します。石巻伝道所の白津教師は困難な伝道地にあって、全生涯を捧げ、福音の灯をかかげ続けて来られました。その会堂が、津波の被害に遭われました。自給開拓伝道、それがどれほど過酷なものであるか・・・。私自身のわずか5年ほどの経験など、まったく比べようもありません。 
ヘドロの臭いがなおこもる聖なる礼拝堂で、先生ご夫妻の証をうかがいながら、涙をこらえるのに必死でした。牧師どうしであればこそ、伺えた証でしたが、もし、録音できていたのなら、日本キリスト改革派教会の全教師、役員たちも聴かなければならないと思わされました。「自給開拓伝道者魂(根性という言葉が語られました!)」みなぎるものでありました。
「これほどの被害を受けられたのですから、手直しをするのではなく、大会の支援を受けて、新会堂を建てるべきでは・・・」「お金をもらって、そのようにすることなど考えられません・・・」(筆者の記憶の中のことば)激しく心揺さぶられました。このような牧師が、日本キリスト改革派教会におられる喜び・・・。しかし、それを知っていながら、何もしてこなかったわたし・・・。

 また、被災後、ただちに沼津の地より、OPCの宣教師ご子息夫妻がトラックを自ら運転し、満載の救援物資を届けてくださったこと。何より、主日礼拝式を共にされ、感謝感激の涙の中で礼拝を捧げられたことなども、証してくださいました。ここにまさに、隣人となるキリスト者、神の家族の姿を見せられた思いでした。初動を怠った私どもを反省すると同時に、今後、長く隣人となるべきことを、改めて示された思いが致しました。

 定期会閉会祈祷で、ひとりの教師の祈りに、心からアーメンと唱えました。それは、「教会の悔い改め」についての祈りでした。私どもの信仰のあり方を真実に悔い改めることがなければ、私どもの教会が獲得すべき真実の将来は、おそらくないでしょう。神の御前に、悔い改めの恵みを共に祈り求めるところからのみ、私どもの教会の再生は始まると思います。
 中部中会としても、東北中会、そして彼らに与えられている被災地への福音伝道の使命を共に担うために、何ができるのか、なすべきなのかを、共に祈り求めたいと思います。

 はからずも、緊急車両許可証の提示によって高速料金が無料になりました。しかし、有効期限が19日までのため、夜を徹して運転し午前5時に帰着いたしました。
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