過去の投稿2011年5月4日

5月1日

★  先週の復活祭は、まさに恵まれた主の日となりました。洗礼入会者を迎え、また、加入者をもお迎えし、共に聖餐の食卓を祝うことができました。これにまさる幸いはありません。愛餐会も、多くの兄妹方と共に、また実に、新来者の方々も残ってくださり、姉妹方のご準備くださったおいしい手料理にまさに舌鼓を打ちました。新会員への、祝いの言葉に耳を傾けながら、名古屋岩の上教会の交わりを心の中で、「自画自賛」、本当に、すばらしいキリスト者の交わり、主にある交わりと感謝いたしました。

☆  いつものように祈祷会では、説教の主題を深めました。聖餐の礼典の学びのおさらいをしました。聖餐の食卓は、天国のいのちの食卓の地上における「前味」です。食卓の主は、「わたし」ではなく、死んでご復活なさった主イエス・キリストです。聖霊において臨在したもう主に他なりません。主イエスは、ご自身に他ならない「いのちのパン」を、手ずから、私どもにお与え下さるのです。私どもは、「目に見える御言葉」であるパンとぶどうジュースを、目で見て、手で触れ、舌で味わい、体へと取り入れるのです・・・。そのようにして、私どもは主イエス・キリストと一つにされ、永遠に生きる者とされるのです。

★  ひとりの兄弟とのメールのやりとりをご紹介いたします。(一部、補足・修正)

「パン工場はアンパンマン(=教会員)を再生する工場(=教会)で、ジャムおじさんはアンパンマンを再生する癒し人(=牧師)です。」  その通りですね!そして、教会員もその仕え人も、ただ「生ける神の言葉」(=イエス・キリスト=「まことのパン」)によって、存在させられています。主は、聖書(記された神のことば)とそれに基づく説教(語られる神の言葉)と聖餐(目に見える神の言葉)とによってご自身のみ体なる教会に 臨在を明らかに示され、私どもを養い給います。したがって、教会の頭はまさに主イエスごじしんであられ、私どもは彼と洗礼によって一つとされ、また互いに一つとされています。

   ここで、「互いに一つとされ」ということが、岩の上が強調している真理です。これが、分からないと、教会は、「共同体未満」になるわけです。「ガラスの教会(※夜の祈祷会で、紹介されたアメリカの教会成長運動の発信拠点となった巨大教会、昨年、経営破たんで、会堂売却・・・)」は、ひとりの牧師から、宗教的感動を受けただけのバラバラの、個人でしかなかったのだろうと思います。~

神中心、これを貫くことは、まさに奇跡、聖霊のみわざです。この狭い道、困難な道・・・を進みゆくことが、聖書の道です。私どもの教会はなお、その途上にあります。新しい会員が多い、若い教会です。○○兄妹と共に、この聖書の真理に固着して、広い門でも、広々として道でもなく、狭い門にこだわってまいりたいと思います。そのようなキリスト者がいなければ、教会は、堕落し、崩壊して行きます。~」

☆  そこで、下記の絵を送って頂きました。感動しました。これが、「アンパンマン」なのです。聖餐における主イエスのお姿を重ねたからです。説教でもご紹介しましたが、アンパンマンのテーマは、「傷つくことを覚悟しなければ、正義を行えない」(やなせ氏)まさに、聖書の真理のメッセージです。
今朝もまた、わたしどもは、聖餐の、いのちのおもてなしを受けます。

★  愛餐会終了後、先月開催した「ディアコニア委員会」の一つの主題となった、「岩の上のディアコニアとして被災地で活動する」という志を実現するための有志の会議を開きました。わたしを含めて、5人の兄妹と共に、何ができるのか、何が現地で求められているのかを協議しました。ついに、教会のディアコニア実践のときが、与えられたその瞬間です。本当に、嬉しく思いました。

☆   もとより、教会のディアコニアは、現地に行く奉仕者だけのものではありません。朝夕の祈祷会で、炊き出しについてのお知恵を求めたら、出るわ出るわ!!、まとめることもできませんでした。物資搬送も、今回の奉仕も、まさに、会員全員の奉仕となっていることを、どれほど、感謝しても足りません。当たり前!と言えば、そうなのですが・・・。

★  3月15日の福島第一原発の水素爆発で、燃料溶融の決定的危機が起こっていたことが、今頃、分かりました。爆発によって、「偶然」、冷却プールから水が流れ込んだせいで、冷却された・・・。世界中で、祈られていたからではないでしょうか。いつでも最高の奉仕は、主の御名を信じての「執り成しの祈り」です.