名古屋岩の上伝道所亘理伝道所支援ディアコニア活動記録
2011年5月5日
報告者○○○○姉 (大震災ディアコニア支援室員)
5月1日 日曜日
22:00 岩の上教会出発(相馬伸郎牧師、○伝道所委員)
22:50 ○家出発(○兄、○姉が合流)
5月2日 月曜日(曇・強風)
5:30頃 安達太良PAにて朝食
7:30頃 亘理伝道所到着 仮眠
9:00 林牧師、○兄、○氏、栗原牧師(福島伝道所)、カミングス宣教師(仙台めぐみ伝道所)
と荷物を準備し山元町・坂元支舎へ出発 (途中ボランティアセンターへ立ち寄る)
10:30 坂元支舎の方と炊き出しの場所、ご飯の手配・時間等について打合せ、炊出しの準備
(強風のため屋内の消防団休憩室兼物資保管の部屋をお借りする)
(毎日交通整理されている消防団の方が昼の休憩に来られ、土手煮をお渡しする)
12:30 避難所の3階の食堂にて配膳(土手丼)野菜ジュース、パン等も配る
(避難している方と現地スタッフ約30名強)
(調理室があり、ご飯/副菜等は近所のご婦人方が担当。残りの土手煮は調理室の鍋に移す。)
13:30 食事後、4名で山元町の沿岸部へ(被災状況視察)
15:30 2回目の炊出し準備
16:30 仮設住宅へ野菜あんかけ・ご飯を配る(約20世帯前日から入居開始とのこと)
17:00 過ぎ避難所で配膳(約40名。仕事帰りの方の分を確保されるご家族も。
野菜あんかけ丼の他、近所のご婦人方にて野菜スープ、フルーツが用意される)
亘理伝道所の猪俣兄合流亘理伝道所の未来の奏楽者(?)○氏のピアノ演奏
18:30 片付け
19:30 亘理伝道所着集会室にて夕食
21:00 就寝(礼拝堂と幼稚園の一部屋をお借りする)
5月3日火曜日(晴のち曇)
8:00 集会室にて朝食
8:30 林牧師、○氏と共に祈祷会
9:00過ぎ 亘理教会の隣、避難所となっている亘理小学校を視察。(200名以上)
必要としていることをスタッフに尋ねるが、医療スタッフ・調理スタッフ・
マッサージ師までいて、特にないとのこと。体育館で生活されている。
10:30頃 林牧師・○氏と、教会関係者の女性を避難所(中学校)や山元町の被災した地域を
回り探す。(津波で亡くされたお父さまの記念会と津波につかった居宅清掃のため)
連絡が取れず、別行動させていただくことを急きょ決定。亘理伝道所に届いている
支援物資を、2日に食事を届けた山元町の仮設住宅へ配りに行くこととする。
12:00 亘理伝道所着昼食(牧師夫人がご用意くださる)
13:00 仮設住宅着。亘理伝道所を往復し、物資を届ける。(8割程度入居済)
《1回目》シャンプー、生理用品、トイレットロール等の生活物資入り個人用段ボールと野菜ジュース
《2回目》女性用中心の衣類(仮設住宅の方から必要と伺ったため)
17:30 亘理伝道所出発(途中、夕食)
19:30 福島伝道所問安委員との連絡がとれず栗原牧師と祈祷会
21:00 福島伝道所出発
5月3日水曜日
5:00過ぎ ○家着
6:00 岩の上教会着
6:45 荷物の片付け、炊き出し寸胴洗い終了解散
最初から最後まで神様のお導きが豊かにあり、活動が守られたことを主に感謝致します。
2日間で出来たことは、広大な被災地のわずかな地域・わずかな人数へのディアコニアであり、
全体から見たら砂粒程のことかもしれません。それでも限られた時間と人数で、神様に用いられ、
出来得る限りのことをして来たと思っています。それは岩の上教会の兄弟姉妹の祈りに支えられ、
また炊出しの準備の奉仕、献金・献品によって出来たことです。兄弟姉妹のディアコニアがなけ
れば、現地での活動は不可能でした。本当に心強く、励まされました。心より感謝しています。
現地の方々は、震災直後の過酷な時期を乗り越え、すでに十分過ぎるほど頑張っておられます。
本当に頑張らなくてはいけないのは私たちではないか、との思いが強くしました。被災してから
2ヶ月近くが経ち、個々に直面されている状況・問題も多様化していきます。支援の形も刻々と
変えていく必要があるかと思います。どこへ、どのようなことを、どんな手段で支援するのか。
途方に暮れるような思いもありますが、神様が岩の上教会と現地の教会を用いて下さり、これか
らのディアコニアを力強く担えるよう祈ります。
月報「Coram Deo!」5月号
編集後記より
「テレビで見ていた被災地。実際に行っても景色は変わらないわけですし、そこま
でのショックは無いと思っていましたが、やはり現場を見ると違いました。
何も無いんです。景色が良すぎるんです。ありえない。
この経験を経験で終わらせること無く、継続した活動につなげる事。それが今回
与えられた神様からのミッションのような気がしています。」
○○○○((大震災ディアコニア支援室員)