過去の投稿2011年5月22日

5月22日

★   今年の伝道月間は、委員会で検討した結果、6月開催となりました。今、伝道新聞作成が最終段階にあります。今年はまた、これまでにしたことのなかった「家族伝道に集中する一年」として、年度目標として掲げられています。年度初頭、人生の最後の最後に、天国へと凱旋することが許された会員のご尊父のことを、改めて思います・・・。奇跡が起こること、起こった祝福を、教会共同体としても、忘れてはならないはずです。

☆  「祈りの子は、滅びない。」アウグスティヌスの言葉と言われ、語り継がれてまいりました。祈りの子とは、「祈られている子」、つまり、「契約の子」のことです。契約の子とは、神の救いの契約に一方的にあずかっているキリスト者の子弟のことです。それゆえ私どもは、「幼児洗礼」を聖書の教えとして、重んじ、挙行します。残念ながら、私どもの教会には、幼児洗礼を受けられなかった子らも少なくありません。片親のキリスト者のまことに悲しい現実のゆえです。教会から離れてしまっている多くの子らを、忘れていません。

家族伝道・・・。何といっても、子弟・子女への伝道です。伴侶・親・兄弟への伝道より、優先すべきことです。「子どもの教会」が、いよいよ聖霊の喜び、楽しいとき、場所となりますように、皆さまのあついお祈りをお願いいたします。中高生、大学生、成人となっている契約の子らの救い、信仰告白のために、教会としてなしうることを、なお真剣に求め、知恵を出し合いましょう。

★  「伴侶の救い・・・は、子どもの次・・・」のように上述しました。しかし、もし伴侶が救われれば、子どもたちへの信仰教育は、飛躍的に進むことが期待できるでしょう。何よりも、夫婦で心を合わせてお祈りすることができたら・・・。幸いこれに尽きるとの思いをお持ちのことと思います。主イエスごじしんが、それを願っておられることを忘れてはなりません。

☆  東京電力は、今頃になって。フクシマ原発の第一号機(第二、第三も・・・)が、メルトダウンに陥ったことを、公式に認め、明かしました。フクシマ原発は、その脅威の収束どころか、いよいよ危険な状況であることが、公然となりました。3月12日、水素爆発という恐ろしい事態になったことをテレビで観ても、なお、「メルトダウン」(この言葉は、浜岡原発の危険性について、何年も前に、個人的な関心として学んだときに、覚えた言葉でした・・・。)は、していないのだと考えていました。わたしの知る限り、テレビに登場するすべての専門家は、「炉心は、絶対に壊れないので、大丈夫だ」と言っていました。何年も前に仕入れた知識に基づけば、メルトダウンをおこせば、数千年単位で、放射能物質が地球環境を汚染する・・・。浜岡原発で、それが起きれば、首都東京は機能しなくなり、日本全体がダウンする・・・。最悪事態だけは、避けられていると考えていました。しかし、現実は・・・、過酷です。

★  そもそも、人類が、使用済み核燃料を「処理」する目途を立てないまま、これを利用することに大きな問題があるように、私個人は、今更ながら思います。教会は、原発の問題を、これまで正面から議論してまいりませんでした。結局しかし、その本質は、辺野古の問題と通じています。経済優先・・・、都会優先・・・、差別…。

☆  メルトダウンでなお、被害がこれだけで済んでいる・・・。(もしかすると、わたしの想像をはるかに越えた被害を既に生じているのかもしれませんが・・・。)奇跡としか言いようがないと、わたしは思います。前回も記しました。やはり、神の憐れみであり、執り成しの祈りの故ではないかと思います。世界中の教会が、とりわけ日本の教会が、この原発震災のためになお、祈りを集め続けなければならないと思います。主イエスが、執り成し祈っておられることを思います。黙示録的な現実(終末)を、私どもは身近にしています。「目覚めよ!」との聖書が繰り返し呼び掛ける号令を、まさに真剣に聴き続けなければなりません。

★   先週の夜の祈祷会は、おそらくこれまでで最も多くの出席者であったと思います。さまざまな要因があったからですが、男性10名、女性6名。礼拝出席者が増えることは大きなまことに大きな喜びです。しかし、 祈祷会出席者はそれにも勝ります。私どもは、真実の、聖霊の力あふれる礼拝式を捧げるために祈祷会を重んじてまいりました。しかし今、ディアコニアに生きる教会となるためにも、という意識が醸成されているように思います。上述の通り、「祈り」こそ、最高度のディアコニアに他なりません。祈るためには、「情報(祈祷課題)収集」が必須となります。そこから、「交わり」「実践」が生じるのです。祈りは、執事的奉仕(ディアコニア)の出発点・要です。そして、この祈りがいよいよ高められ、深められて行くとき、実践への準備(キリスト者の霊的準備・訓練=たとえば、傷ついた人の言葉を傾聴する修練など。そして、支援者、隣人としての物質的準備=たとえば、緊急支援物資等の備蓄、緊急援助のための経済的蓄えなど。)が整えられて行くでしょう。