恵那教会の草野牧師の許可を受け、ここに報告(抜粋)を掲載させていただきます。
当初、大会ボランティア登録をされ、東仙台に赴かれるご予定でした。
しかし、わたしからの情報、また要請を受け止めてくださり、急きょ、亘理伝道所へのディアコニア活動へと転換してくださいました。そのような関係から、この場所に、感謝をもって掲載させていただき、ご報告いたします。
今後のディアコニアの働きの示唆となりますように・・・。(相馬伸郎)
恵那教会 東北支援活動報告(2011年5月15~20日) 報告者 草野誠
1.旅程・活動記録(車中泊を含む5泊6日) 派遣者:草野誠
5月15日 日曜日
22:40 恵那教会出発
5月16日 月曜日
04:40 国見S.A.到着 仮眠、朝食 06:40 出発
07:40 亘理教会到着、林先生から教会と幼稚園の案内、教会のさまざまな状況と被災状況の話を聞く
13:00 昼食、仮眠
15:00 ○兄と林先生に案内いただいて被災地視察
18:50 教会到着、自衛隊が提供している風呂場前でケーキとティッシュ(御言葉つき)を配る
19:50 夕食21:00 就寝(24時頃と4時頃の余震で目が覚める)
5月16日 火曜日
07:00 父と二人で祈祷会、朝食08:15 幼稚園で林先生、幼稚園関係者とともに祈祷会
08:30 ○兄が来るまで待機のため、教会周辺を散策。路上で夫婦喧嘩を仲裁する
10:00 ○兄と林先生とともに、○兄が新しく仕事場としようとしている肉屋の地権者の○氏宅を訪問する。氏は○幼稚園の理事をしていたが、津波で被災し園児8人と先生1人を亡くされた。
13:00 教会着 昼食
14:00 支援物資に、教会案内と御言葉を付したティッシュを貼り付ける作業を行った。
15:00 支援物資を避難場所となっている亘理中学校、山下中学校、そして支援物資集積所に持っていく。
18:00 教会到着、夕食
19:00 自衛隊の風呂に行く21:00 就寝
5月17日 水曜日
07:00 父と二人で祈祷会、朝食08:15 幼稚園で林先生、幼稚園関係者とともに祈祷会
08:30 林先生の指示で父と二人で花の植替え、独自の判断で教会堂掃除、くつ箱のペンキ塗りを行った。
12:00 昼食
13:00 オアシス・レイ(韓国の淀橋教会が中心となった賛美とマジックとマッサージを行う慰問団)とともにとなりの亘理小学校を訪問
15:00 牧師館に残っていた支援物資を支援物資集積所に持っていく。古着以外は受け取ってもらえた。
16:00 教会到着、出発準備、16:30 亘理教会出発
18:00 東仙台教会到着
19:00 祈祷会に出席(東仙台教会会員とボランティア、その他の参加で13人)
20:00 仙台栄光教会のイ・グンベ先生夫妻と夕食
22:00 東仙台教会到着、就寝
5月18日 木曜日
07:00 立石先生、父、ボランティアスタッフとともに朝食
09:00 東仙台教会出発
10:00 東松島市(旧成瀬町)の個人宅で一階の解体作業に従事する。改革派のスタッフだけでなく、
OPCのカミングス先生、在日大韓キリスト教会のボランティアとともに行う。
16:00 作業終了、16:30現場でボランティアグループと別れて福島教会へ出発
18:20 福島教会到着、栗原先生と面談し祈祷会をもつ
20:40 福島教会出発
24:00 横川S.A.で夕食
5月19日 金曜日
06:30 草野家到着
2.被災地および教会の状況
【亘理町・山元町】
沿岸線(約20㌔)から2~3㌔がほぼ壊滅状態で、自宅に戻って生活している人はいないとのこと。自衛隊が解体作業をしているのみ。常磐線も亘理駅より南は復旧のめどが立っていない。被災者は学校を中心に避難している。避難所は亘理町・山元町で11ヵ所、避難者は1600名以上にのぼる。訪問したのは、亘理小学校(200名以上)、亘理中学校(150名以上)、山下中学校(300名以上)。仕切りもない所で寝ている。食事は支援物資を、残っている女性が中心になって調理し出している。仕事や学校がある人は生活のリズムも取れるが、被災した所はいちご農家が多く、何もしないで一日避難所にいる人も老人に多い。しかし、すでに200戸以上の仮設住宅が完成し順次入居している。夏までに856戸完成予定とのこと。一方、国道6号に沿って町の中心部(亘理教会近辺も含む)は津波の損傷はなく、地震による家屋の損傷も屋根瓦がずれている程度でほぼ地震前の生活を送っている。現地にいて感じるのは、第一に、衣食住は次第に整備されつつあるが(もちろん今はまだ不足しているが)、起こった出来事に対して理解を超えていることと、この先どうなるかに対する不安に押しつぶされそうになっている。「私たちここに戻って生活できるのでしょうか?」これは被災者すべての人の問いだと思う。第二に、被災された人たちの苛立ちや怒りや不安がピークになっていること。それが家族や同じ被災者同士、役場の人間や被災していない人、さらには亡くなった人に向けられている。第三に貧富の差が大きくなっている。町の中でも津波の被害を受けた人と受けていない人では生活がまったく異なる。また被害を受けた人の中でも、現金を持っている人はいち早く避難所から出ているが、お金がない人は仮設住宅に移っても食材が購入できないため避難所に戻る人もあるという。それがさらに憎しみやねたみを生み出している。
【東松島市(旧鳴瀬町)】
東仙台教会から車で1時間いった、東松島市の民家の復旧工事の手伝いを行う。この地域は山に囲まれた海沿いの比較的小規模の村落で、町の大部分で1階部分が津波で一時的に浸水した様子。ただ亘理町と比べると人が住んでいるため、町が生きている感じがした。お手伝いをした家は新築して1年1ヶ月で被災した。それでも家主とその友人が率先して作業をし、早くもとの生活に戻るための力が与えられている。それでも9月までは何もめどが立っていないとのこと。対象の家は、この地域では4軒目とのこと。一軒一軒立石先生がこういう活動できることを伝えて、応じてくれた家に作業に入っている。作業内容は、床をはがし泥をかき出しカビが生え始めた壁を壊して、改築の準備をすることであった。すべて手作業でしているため、それほどはかどらないが、みんな一生懸命に丁寧に行っていた。改革派の奉仕者は私たちを含めて6人とOPCのカミングス先生、在日大韓キリスト教会のボランティアが協力して行った。奉仕者は1ヶ月以上の人が多く、さすがに疲れがたまってきているのが伺えた。また集っている青年は立石先生と非常に親しい方だけだったので、大会的なボランティアが終了する6月11日以降の動向とともに、今の奉仕がこの後どう展開していくのかについて考える時期が来ているようだった。
【福島市】
福島教会の周辺は地震による被災によって転居されている方はいたが、放射線による生活への大きな変化(品不足や自宅待機、疎開)は見られなかった。ただし福島教会の庭でも5マイクロシーベルトが計測され、小学校や幼稚園では最大97mシーベルトのところもあったという。近隣には現在650人と80人の避難所があるとのこと。栗原先生は家族と離れて一人で白石市内にアパートを借りながら福島教会で働いている。ご自身で焼かれたケーキを幼稚園や避難所に配ったり、他教派からの支援物資を地域に配ったりしている。嬉しいのは、栗原先生がいることで受洗希望者が一人おられる(22日にはもう一人)ことを伺い励まされた。福島教会でも会員のサポートを得られず、担当教会である仙台教会とも距離が離れているため、先生が孤軍奮闘している様子。しかし動く中で、主が実りを与えてくださる希望を一緒に確認し福島でも神の恵みが豊かにあるように祈った。先生と一緒になって働き、アドバイスする人が必要と感じた。
4.被災地訪問と奉仕を終えての現在の想い
今回すべての事情を整えてくださり、実質4日間の被災地での奉仕をすることができたことを主に感謝します。今回見て、聞いて、できたことは広大な被災地にあってまことに一部であり小さなことかもしれません。しかし恵那教会が喜んで牧師を送り出し、心ひとつにして支援をし、主イエスによってひとつなる信仰を届けられたことが、被災地の兄弟姉妹たちに大きな励ましとなったことは確かだと思います。そして恵那教会の兄弟姉妹にも喜びとなったと思います。心から主に感謝します。
しかし実は、今回の奉仕を終えて今、わたしの胸中にあるのは大きなジレンマなのです。必要とされる物資はまだある。なすべき作業もまだたくさんある。なによりも希望と慰めを必要としている民がそこにいる。現地にいた数日間、肌で感じたことです。しかしそこに、教会の手が届いていない現実に自分自身が立たされたのでした。それは決して現地の教会を批判しているのではなくて、自分が一人のキリスト者として、そして一人の献身者として、何かをなさねばという思いが与えられているのです。そして、果たしてそれができるのだろうかというジレンマなのです。実は教会員の方々も同じではないでしょうか。何かしたいのに、何をしたら良いのか分からない。そういうジレンマ。そこで自分のジレンマを整理する意味で、今回の大災害に対して自分自身が向き合ってみたいと思います。
①被災地に立ってみて感じたのは、「神の業がなされた」という畏れ。
亘理町の広大で壮絶な被災地に立って声をなくし、ただ認識したのは、そこで「神の業がなされた」ということでした。もちろん地震と津波という自然災害によるものでありますが、そういう恐怖ではなく、そこに神が確かに働かれたという畏怖の思いが心に広がったのです。思い起したのは、ノアの時代の大洪水であったり、町がのみこまれたりした旧約の出来事でした。当然そこでは、「神さま、なぜですか」という問いが生まれます。しかしその問いは神の摂理の御業、そして神の永遠の熟慮と配慮に収斂していったのでした。そこにしか希望がないことを知ったのです。ハイデルベルク信仰問答問28で、神の創造と摂理を知ることの私たちの益について、「わたしたちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来については私たちの真実な父なる神をかたく信じ、どんな被造物もこの方の愛からわたしたちを引き離すことができないと確信できるようになる、ということです。なぜなら、あらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは動くことも動かされることもできないからです。」大災害のつめ跡を前にして信仰があらわになったのでした。
②悔い改めと献身
神の御業あるいは、しかもそれが激しい場合、それは懲らしめの意味もあるでしょうが、旧約聖書ではそれによって、「主を知るようになるため」であることが繰り返し語られています。つまり神の御業は主に立ち返れという神からの呼びかけであり、人に対しては悔い改めが促されています。そして私が被災地で与えられた悔い改めは、訪問した亘理教会、福島教会の弱さに対してのことでした。それは東北の諸教会についても言えることかもしれませんが、このような時に心ひとつになって祈っていけない弱さ、牧師に協力してくれる人が起こされていかない弱さ、教会の外に向けて働き人が起こされていかない弱さ、福音が大胆に語られていかない弱さがあります。それをここで批判しているのではなくて、そういう弱さに気付かず、いや気付いていても何もしてこなかった自分自身に対する後悔です。本当に自分は「互いに愛し合いなさい」という主イエスの戒めに従おうとしてきたのだろうか。「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いを持って誠実に愛し合おう」(Ⅰヨハネ3:18)という御言葉をかつて恵那教会で説教しましたが、この御言葉に真剣に生きてきただろうか。誠実で優しい信徒に囲まれて、そこにあぐらをかいて、自分たちの教会や中会のことしか考えていなかったのではないか。同じ兄弟姉妹の、教会内外でジレンマをもち、信仰の戦いをしている教会や教師たちに対して何も思いを寄せず、見もしていなかったのではないか。そのように激しい悔い改めを迫られたのです。同時に、その神の迫りにあっても悔い改めないとしたら、次に裁かれるのは私であり、教会(指導者)であるという思いがするのです。
実は、被災地に行く前から吉田隆先生の言葉が心に残り続けていました。クリスチャン新聞に掲載されたオピニオンというコラムで、「他の人がなんと言おうと、私自身はこの度のことが(犠牲者に対してではなく)自分自身に対する主からの警告であると受けとめた。」というご発言。それが今、わたしにとっても今回の大災害が、主からの警告であると受けとめつつあるのです。「受けとめつつ」というのは、情けない話ですが、それを受けとめたときに献げることの大きさにまだ迷っているからであり、それによって自分の生活が一変することに対する恐れです。自分のこと、家族のこと、恵那教会のこと、いろいろ考え、それがジレンマとなっているのです。主よ、憐れんでください。しかしそれもまた主によって打ち破られるときがくるでしょう。どのように献げていったらよいのかも主が示してくれると信じています。そのとき、どれほどの犠牲を払おうとも献げることができるように信仰が増し加えられますようにと祈る毎日です。
③震災前に戻ることではなく、神の国のさらなる進展のために奉仕する
そして、今回の大災害が神の業であることを知った時、第一に大きな希望が与えられていることも知ります。主は裁いて、もうあなたは知らないといわれるのではなく、立ち返れと呼びかけてくださっています。そして立ち返るのなら、前にも増して祝福を与えられるお方であることをわたしたちは知っています。ですからこれほどの大きな業がなされたのなら、それにも増して大きな祝福をすでに主は用意してくださっていることを信じることができるのです。第二に、自分に与えられた神の力の大きさを知ります。OPCのカミングス先生はともに作業をしながら、こう言われていました。「この震災がすごいといってみんな驚いているけれども、神の創造の御業からしたらほんの少しです。神とはそれほど大きな力がある方なのです。その神が今回の災害よりももっと大きな力で、あなた方一人一人の救いのために働いておられるのです。」その救いの力が今、東北の地に与えられていることを信じています。今わたしたちに求められているのは、主イエスが「からしだねほどの信仰があれば、山を動かすことができる」と言われた信仰なのだと思います。
世の人々は、生活を震災前に戻そうと必死になっています。そしてなかなかそのようになっていかないことに怒りや苛立ち不安を覚えています。確かに安心して暮らせる衣食住や仕事が必要でしょう。教会にとっても、前と同じように会堂で安心して礼拝できることも大切です。でも神の業がなされたのであれば、前に戻ることではなく、新しく生きることこそ神の御旨ではないでしょうか。教会が目指す射程は、この度のことで、教会が新しく変えられること、牧師が新しく変えられること、信者が新しく変えられること、そしてこの日本が新しく変えられることであるべきでしょう。わたしたちは祈りと働きの中心を、現状をつきぬけた神の国の進展においたとき、そのとき必要な知恵も力も勇気も与えられることを信じています。現在、中会や大会でもこれからのことについて議論されつつあるところです。主よ、どうか日本キリスト改革派教会を憐れんでくださり、あなたの尊い御旨がなされますように。特に東北の諸教会が救いの御業の先頭を走れるように、すべての力が結集されますように祈っています。