★ 本日は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)です。おめでとうございます。
主イエス・キリストはご復活後、昇天されました。50日後、約束通り、選ばれた人々に救いのみわざを適応するために、聖霊なる神が注がれました。エルサレムで約束を信じて、祈り待っていた弟子たちに聖霊が降臨したとき、そこに、新しい教会、キリスト教会が誕生いたしました。あれからほぼ2000年の時を迎えようとしています。教会は、常に、この聖霊なる神の臨在によってその「いのち」を新しくしてまいりました。教会の働き、そのすべては、聖霊なる神ご自身のお働きの実りに他なりません。今朝、私どもが他のどこでもなく、この礼拝堂にいるのは、聖霊が直接、働いて下さったその結果、しるしなのです。感謝。
☆ 先週の夜の祈祷会前、牧師宅で、祈祷会出席者のために夕食のときを持ちました。これで3回目となるでしょうか。毎月、一度の楽しい食卓です。そもそも夕食をとらずに、かけつけられる夜の祈祷会出席者のためにという目的で始まりました。しかし実は、その背後にさらに深い願いがありました。教会のディアコニアを出席者で共に考え、実践を・・・というものです。3:11が起こるはるか前から、「教会のディアコニア、ディアコニア・・・」と家内と話し合ってまいりました。その触媒となる場所の提供・・・。祈祷会直前で、ゆっくり味わい、交わりを楽しむことも、そこそこに、夜の祈祷会へ・・・。
☆ 現在、夜の祈祷会前、6時30分~、○○兄妹と共に、「日本キリスト改革派教会とはどのような教会か」(岩の上文庫③ 牧田先生の講演記録)を学んでおります。一部しか読むことができませんでしたが、終了とし、かねてより、ご案内いたしておりました読書会を、この時間帯に行います。「改革派信仰とは何か」(牧田吉和著、2000円)がテキストです。この読書会は、もともとは、教会設立を目指して、伝道所委員のための、基礎的学びの仕上げを目指していました。また、改めて改革派信仰を学びたいと言う願いを表明されている方、そして、先日、○○兄からも読書会開催の問い合わせを頂きました。夜の祈祷会前、やはり、あわただしいかもしれませんが、会員全員に開かれた読書会です。教会設立のために、その基本中の基本となる、この学びを深めたいと願います。この書物もまた、はるか加入前、書籍となる前、牧田先生からいただいた講演記録を印刷して、若い仲間たちと熱心に学びました。懐かしい、思い出です。ぜひ、ひとりでも多く・・・。
★ 先週の説教は、「家族伝道」を主題として説教でした。看守は、パウロとシラスを家庭に招いて食事をしています。説教では、これが一つのゴールと語りました。キリスト者の家庭は、開かれた家庭となる・・・。さらに、家族伝道は、聖餐の食卓、主の日の礼拝式において神の家族みんなと共にいただく聖餐の礼典の祝いをゴールにすると、語りました。先々週の土曜日、○○家で、若い仲間たちが夕食。また、○○家では、なにやら楽しい企画も・・・。期せずして、このような、食卓の交わりが広がること、とてもうれしく思っています。(もとより、子育て中のご家庭は、将来をお楽しみに・・・です。)
☆ 新約聖書のなかで、「旅人をもてなしなさい。」という命令が何度か出てまいります。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました。」(ヘブライの信徒への手紙第13章2節)「聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。」(ローマの信徒への手紙第12章13節) ここでの旅人とは、キリスト者であり、とりわけ伝道者のことです。今回、神の導きで、わたしの神学校の1年後輩の、岩塚和男牧師が拙宅に宿泊されます。先生は、津波で甚大な被害を受けた宮古コミュニティーチャーチ(単立)の牧師をしておられます。思えば、卒業後、初めての再会です。震災2週間後、先生の生存情報を伺い安堵し、メールをお送りしました。そのやりとりの中で、信徒の方々、そして日本から海外から、ボランティア支援者と共に、地域の方々のために、奮迅努力しておられること、休みなく、睡眠4時間の日々とのこと・・・。本当に、胸が痛む思いでした。そして、被災地を少しでも離れ、先生が倒れない内に、早くお休みをと、強くつよく進言いたしました。そして、今回、浜松伝道所委員会の協力も得られ、浜松にも宿泊して頂くこととなりました。現地に赴くディアコニアも必須です。しかし、このような形の後方支援の可能性は、豊かにあります。どうぞ、後方支援に加わって下さい。これほどまでに光栄なディアコニアはないと思います。天使に、またキリストに奉仕する道だからです。
★ 先週、「ラブレターです。」と、会員からお便りを手渡されました。キリストにある信頼関係。これこそ、神の家族の共同体の真髄、幸い、喜びです。カナンの女性(マタイ15章)が、主の愛を確信したように・・・。