過去の投稿2011年6月19日

6月19日

★  本日は、中部中会主催の講壇交換として、金沢伝道所の漆崎英之牧師をお迎えして礼拝式を捧げます。わたしの記憶が確かであれば、11年ぶりになるのではないかと思います。金沢伝道所は、中部中会設立 25周年記念の開拓伝道として伝道が開始されました。漆崎先生は、初代の宣教教師です。1989年より、 既に20年余年の歩みを重ねておられます。礼拝出席者は、10年度の統計では、26名とのことです。私どもも、開拓伝道の群れとして、共通の背景があります。その意味でも、説教はもとより、懇談の折のお話に、 耳を傾けて下さい。そして、自由に質問をして、金沢伝道のための祈りの情報を収集して下さい。講壇交換は、一つ信仰告白で結ばれた中部中会、中会という一つの教会を共に構成する各個教会の絆を確かめ、 深め、共同の監督および牧会、研鑽に資するために、なされるものです。よき、講壇交換となりますように。

☆  先週は、大会役員修養会(大震災対応の為の臨時大会も合わせて開催)で、愛する皆さまと1週間以上、お会いできなくなりました。とても寂しく、又心配にも思います。どうぞ、今週の祈祷会、お励みくださいませ。

★  先週のファミリー礼拝式には、会員ご家族、友人、知人、大学生・・・と10名の方々が出席して下さいました。52名の礼拝出席者。久しぶりに50名を越えました。椅子の並べ方も、少し工夫してみました。お気づきになられたでしょうか。101歳(!)のご婦人をお迎えする椅子と空間を考えて、このようになりました。60脚の会衆席の椅子ですから、まだまだ余裕はあります。皆さんが、深く祈られ、そして声をかけて、伝道月間に臨まれていることがヒシヒシと伝わります。伝道新聞の個別配布した者からは、今回も、残念な結果です。 しかし、いたずらに嘆かず、最後の伝道礼拝式となる来週のために、今日からなお祈り、呼びかけましょう。

☆  先週、礼拝式後、ディアコニア支援室が開催され、再編されました。そこでも言及しましたが、先週の献金の祈りを深く覚えます。「苦難を与えて下さい・・・」私どもの働きは、ボランティアではありません。ディアコニア(ディアコノイ=奉仕者)です。つまり、自分じしんの自発的考えに基づく働きをなすのではないということです。主に召され、主から務めを頂いているのです。ひとりひとりが主なる神の前に、責任があります。報告責任です。最後の審判のとき、私どものディアコニアが問われるのです。しかも、共同のディアコニアです。  皆で、一つのディアコニアとして「主」に捧げるのです。支援室報告を熟読して下さい。(このお祈りについては、兄弟の了解を得て、全文を紹介しようと思いましたが、スペースが足らず、次回以降にと思います。)

★  先週は、宮古コミュニティーチャーチの岩塚和男牧師に拙宅に泊って頂き、その後、浜松伝道所で二泊していただきました。浜松伝道所の委員を中心に、暖かな配慮とおもてなしを頂きました。岩塚先生も本当に、よき休暇、リフレッシュとなられたと大変、喜んで下さいました。私どももまた(さらに多治見教会からも)、献金をもって支援をさせていただきました。浜松の委員方には、「岩塚先生に奉仕することは、まさにイエス・キリストに奉仕することになるはず・・・」と申しました。わたし自身、1年後輩のこの先生の存在にどれほど勇気と励ましとを受けたことでしょうか。この小欄に記すことは、到底できません。今なお、興奮しています。先日の韓国の牧師たちから受けた説教や講演もそうでしたが、今回は、それをも超えます。日本に、このような牧師がいることは、まさに、誇りです。東京聖書学院という神学校が、この卒業生を、どれほど、知っているのか・・・。まさに、この神学校の誇りでもあるでしょう。何故、そこまで・・・なのか。それは、この牧師が3:11以降、有名になられたからでは、マッタクありません!わたしは、先生に赦しを願いましたが、卒業後、じぶん自身の最初の開拓伝道、そして、この名古屋岩の上伝道所の開拓伝道に精いっぱいでした。ホーリネス教団の同期、前後の友人たちとは今も、しばしば交流がありますが、岩塚先生とは、疎遠になってしまったのです。先生が単立教会の牧師となられたことは、今回のことで初めて知ったほどです。また、先生ご自身も…。

何故、単立になられたのか。それは、宮古の小さな群れを守るためでした。所属団体から閉鎖の意向が告げられ、その代り、規模の大きな教会への招聘・・・。それを断られたのです。もしその時、先生が、大きな教会へ行かれていたとしたら・・・、宮古の被災者たちは今、どうなっていたでしょうか。宮古における神の民とキリストの福音は、どうなっていたのでしょうか・・・。この、東北の、教会の少ない町で、教会形成と伝道に献身した、「地味な」伝道者の、召命に生きられた姿に、牧師の基本中の基本を見せていただきました。
なんと、臨時大会における「震災のための祈りと報告」の折、先生に証の時が与えられました。先生の、福音伝道者としてのディアコニア(仮設住宅の一人ひとりに顔を向けて・・・)報告を、牧師長老たちはどのように聴きとられたのか・・・。日本キリスト改革派教会に、神の憐れみが注がれたときであったと確信します。