過去の投稿2011年6月27日

6月26日

―牧 会 通 信―
☆  本日は、伝道月間最後の礼拝式です。新聞を御覧になって来会される方が起こされますように。ご家族が続けて出席されますようにと、祈りを込めて、この日を迎えています。
★ 先週は、中部中会主催の講壇交換として、金沢伝道所の漆崎英之牧師をお迎えすることができました。このような講壇交換は、10年前のわたしの「主張」が基になったものと思います。長老主義教会は、中会を一つの教会として理解します。中会なくして各個教会の存在はないという理解です。したがって、中会の「教会役員」は、各個だけのことを考えるだけでは足りません。中会形成を視野に入れなければならないわけです。牧師も各個教会からの招聘を受けて牧師として就職(=職務に就く。職業に就くという意味とは異なります。)しますが、彼は、中会によって認められない限り教師としての働きを担うことはできません。その意味でも、各個教会を、「共同監督」(共同統治)するシステムを持つのが長老主義教会なのです。
☆  その意味では、講壇交換は、本来、開催後が重要なはずなのです。つまり、教会の課題があれば、それを教師間で「共有」し、その克服の道を探るということがあり得るからです。しかし、現実には、それがなされたことはありません。そこまで行けば、まさに、長老主義教会だからこその真の講壇交換となると、わたし自身は考えています。それは、教師の課題に他なりません。
★  漆崎先生から恵みあふれる説教と交わりとご指導に浴されたことを伺いました。明るく、やさしい先生の人柄は、人間はもとより犬や猫にまで(!)慕われていらっしゃいます。わたしもまた、金沢伝道所で、すばらしい時を与えられ、心満たされて帰路につきました。(しかし、すぐに、岩の上の礼拝出席者が気になり、家内に電話しましたが・・・。)皆様にも、プリントを見て頂ければと思いますが、中学校1年生の契約の子が、礼拝中に説教へのコメントを書いてくれました。しっかりと、説教を理解されていました。つまり、福音を把握しているのです。心底、驚かされ、励まされました。金沢伝道所オリジナルの礼拝プリント用紙を用いてのことです。小学校の机が礼拝堂内にいくつもあり、その机の上で、小学校低学年生からプリントに書き込まれていました。   ○○兄とご長女のご家族が金沢の礼拝式に・・・。家族伝道を目指す私ども・・・。感謝でした。
☆  先週のこの欄で予告していた献金の祈りを掲載いたします。
   「主イエス・キリストの父なる御神。それゆえに私達の天のお父さま。~神様は、相馬牧師を通して語られました説教によって、改めて私達一人一人が持つ罪深さを浮き彫りにし、神様から離れた場合、人間がいかに(空しく)、無意味な存在になってしまうか(なり下がってしまうか)を示してくださいました。  神様、今朝、改めて悔い改めさせてください・・・。神様の深い愛に各々気付かせてください・・・。私達は真に罪人です。しかし、聖書によって知ることが許された(読んで知らされた)主の大きな苦しみ。 そして十字架の上の犠牲の死によって贖われ、救われたキリスト者の命は、(流された貴い主の血の重さ故に、代価故に) とてつもなく重い。いかなる地上の価値とも比べる事が出来ない大切さです。しかし、であるからこそ、今現在、苦しみを受けている人達、もっとも貧しく、不当に小さくされた人達の為に私達キリスト者の人生をお使いください。(主の名によって用いてください) 主による喜びに生きる私達に主による苦難をお与えください。 三ヶ月経った被災地で苦しんでいる人達のもとへも、私達キリスト者を派遣してください。  私達の身体も心も魂も神様にお捧げ致します。  同様に僅かばかりの献金も、清めて教会の御用の為にお使いください。」
彼のメールより、「今晩はゆっくり説教原稿を読み返しております・・・。礼拝式中は、献金感謝祈祷による極度のプレッシャーを冒頭から一人、人知れず受けておりましたので、改めて心を静めて御言葉に向き合いたいのです。」「極度のプレッシャー」!!・・。多くの会員が共感なさるはずです。確かに、献金祈祷は、「公的な祈り」ですから、準備が求められます。しかし本質は、神に聴いていただくものであって、神の御前での緊張感以外のものからは、解放されれば、幸いです・・・。当日、聖書個所(テキスト)が変更!深謝します。
   先週ご紹介した、宮古の岩塚牧師は、仮設住宅に住まわれた方々を一軒一軒訪ねられるそうです。先生の手をとって、「聖書の話を聞きたい。祈ってもらいたい・・・」と、何人も応答されるそうです。これまでの10数年もの間、宮古の方々は岩塚牧師や教会のことを、眼中に留めなかったのかもしれません。しかし今や、キリスト者の愛の業(ディアコニア)が彼らの心を開かれました。先々週、蚊取り線香が求められていると伺いました。先生は、今日も、多くの奉仕者と共に、蚊取り線香一つを持って、しかしそれ以上に「祈りと福音」を持ち運んでおられるはずです。  ※「土曜日、速達が届きました。報告の折、お読みします。」