過去の投稿2011年8月2日

7月31日

 ―牧 会 通 信―

☆  先週の読書会は、マタイによる福音書における「ディアコニア=執事的奉仕」について学びました。ボランティアとの違いについて、改めて確認いたしました。キリスト者の存在そのものを、ディアコニアの次元で説明しつくすことすら可能です。なぜなら、主イエス・キリストこそ、究極のディアコノス(奉仕者)でいらっしゃるからです。「いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(マタイによる福音書第20章27~28節)このお方は、私どもの僕(奴隷)となってくださいました。丁寧に、正確に言わなければなりません、今もなお、私どもの僕として、奉仕者として、仕え続けていてくださいます。あり得ないような恵みのみわざです。この僕こそは、真の王の王、主の主なのにもかかわらず・・・!今も、私の足を、皆さんの足を洗い続けていてくださる奴隷として、私どもを下から支えていてくださいます。だからこそ、私どもは、イエスさまを主、そして王として崇め、私どもこそ、この主の僕、奉仕者として生きて行きたいのです。そして、具体的には、最も小さい者をご自身とお呼び下さるイエスさまに、導かれ、お互いに仕え、隣人に仕えることで果たすのです。

★  教会には、神から選ばれ、立てられた「役員」がいます。「長老と執事」です。彼らが、御言葉と信仰基準と政治基準に基づいて、教会を治会します。大牧者イエス・キリストの支配が行き渡るために、治めるのです。統治と言い換えることもできます。キリストの統治に奉仕すべく統治するのです。私どもが慣れ親しんでいる言葉でなお言い換える方が、理解して頂きやすいでしょう。牧会です。牧者(真の、良い羊飼い)なるイエスさまを模範とします。そうであれば、この指導者は、仕える指導者、もっとも身を低くした奉仕者となることを目指します。こうして、教会は彼らを模範とし、お互いにそれを遂行し合って進むのです。

☆  「読書会」に出席するのは、現住陪餐会員、全員ではありません。そこに、現実の教会形成の課題が常に、存在します。教会に正しく、そして深く奉仕するためには、このような聖書の知識、教理の知識、神学的知恵が必須です。それなくしては、力強い教会共同体の形成は困難です。この世の考え方、理論が教会を動かす、支配することに対抗しなければならないのです。そのためにも、月一回の読書会の重要性を、お互いに確認しあいたいと思います。

★   毎週、水曜日夜の祈祷会前の読書会も、大切です。まさに私ども日本キリスト改革派教会の会員にとって、基本的な知識です。しかし、こちらもまさに限られた方しか出席がかないません。ただし、そもそも、この時間帯に駆けつけられるのは、限られた会員だけです。読書会の楽しさと特権の一つは、自由に語り、質問できること、何よりそのようにして、自分たちの課題に適応する術を身につけられるところにあります。

☆   3:11以降、日本の現在と将来は、まさに、戦後最大の危機に瀕しています。何度も、書いたり、語ったりしていますが、日本キリスト改革派教会の創立の志の第一点は、「新日本の建設」にありました。そのために、キリスト教的有神論的人生観、世界観に立つ新しい日本人をつくること。そして、そのために、「聖書的教会の形成」を標榜しました。日本キリスト改革派教会の創立の原点です。それから65年後、自らの力の弱さ、あるいは怠惰を認めざるを得ないと思います。3:11以降、まさに「新日本の建設」が問われているはずです。創立宣言そのものが的外れであり、間違いだったのでしょうか。まったくそうではありません。今、教会が教会であるとは、いかなること、何をすることなのかを、原点に戻って、再考すべきときです。

★   報告にある通り、「雀のお宿」に福島の子どもたちと保護者をお迎えする企画への献金と奉仕の依頼が届いています。既に、○○兄妹は、18日、一日、奉仕に行かれるとのことです。私どもも、15・16日を予定しています。8月29日・30日には、亘理伝道所に行く企画も、誠委員を中心に立てられているようです。わたし自身は、この企画には、参加できませんので、秋にと願います。29日(月)~31日(水)は、信州夏期宣教講座に出席の予定です。また、この夏の間に、休暇も利用して、秋の福音主義神学会全国研究会議の講演の準備を終わらせなければなりません。

☆   水曜朝の祈祷会は、休会中です。けれども、牧師室は、開いています。共に、祈り、御言葉を味わうときとして お気軽に、ご利用くださればと思います。