過去の投稿2011年8月8日

8月7日

 ―牧 会 通 信―

☆   先週もまた、礼拝式を終え、大急ぎで、浜松に向かいました。月に一度、このような状況の奉仕が続きます。皆さまには、どうぞ、なお、お祈りをもってお支え下さいませ。 わたし自身、信徒の時代、無牧を経験いたしました。牧師の交代を経験したわけです。大学生のとき、先生が転任、アメリカに伝道に行く・・・。礼拝式後の報告で、突然聞いた時、その日、寝込んでしまったほどのショックを受けたことを思い起こします。洗礼へと導いてくださった敬愛する先生が、離れて行かれる・・・。信仰の幼いわたしには、受け止められないほどのショックでした。その後、閉会された祈祷会を継続するために、 わたしが「司会者」「聖書研究・奨励担当者」になります。23歳・・・!その時から、牧師への道が、主によって備えられ、導かれたのだと今更ながら思います。無牧。信徒にとって、過酷だと思います。逆に、牧師がいなくとも、「困らない」信徒であれば、その方は、根本的に間違っていると思います。つまり、御言葉の養いと訓練、牧会なしに、生きていけるということは、「信仰の戦い」を生きていない、つまり、「試練」に遭っていないと考えるからです。
―ただし、日本のキリスト教界の現実は、きわめて深刻です。定住伝道者を欠いた群れが、地方はもとより、地方都市でも、急速に増えています。どこの神学校も、学生が少ないのです。しかも、大学を出て、すぐに(もしくは数年後)神学校に入学する方が、本当に少ないのです。教会(群れ)の数より牧師が少ない状況が、さらに深刻化することは、少なくとも日本キリスト改革派教会では現実のことです。
 はや四カ月。しかし、浜松の会員は、「不安」の中にあっても、伝道所委員を中心に、励んでおられます。

★  先週は、委員会を開催せず(政治基準上、三か月に一度の開催が義務付けられています。)皆さまと懇談しました。主日を中核とした、「御言葉の分かち合い・祈祷会・教理等の学び会」開催についての要望も出されました。すばらしいことです。・・・、わたし自身の責任は、いよいよ増しますが、少しでもお力になれればと思います。何よりも、緊急の必要性、相談があれば、いつでも浜松にかけつける心備えをしています。

☆  そしてそれは、まさに、皆さまにも同じように申し上げます。牧会の必要性があれば、いつでも!です。 そして、牧会を受けることが、キリスト者の歩みにとって、どれほど大切であることでしょうか。ただし、経験しなければまた、分からないことです。岩の上では、ほとんどの洗礼入会志願者方と、マンツーマンで一年余学びます。その意味では、そこで、教会人としての基本的な事ごとは、すべて注ぎこんでいるつもりです・・・。おそらく「大きな教会」では、あり得ないことでしょう。できる今だから、きちんとしなければならないとも思います。ただしもしも、わたしの説教が、皆さまに、正しく、深く聴きとられることによって、既にそこで真実の「牧会」を受けてくださっているのであれば、「説教者」にとっては、究極の目標の一つを実現していることになります!  ただし、自分の説教をそのようなものとしてまったく楽観していません・・・!

★  豊橋の駅で、○○兄とバッタリ。ダッシュで乗り換えなければなりませんので、失礼しました。遠路!です。教会生活の祝福を、切に、祈らざるをえません。

☆  浜松駅前で、浜岡原発廃炉の署名活動に、立ち止まりました。何度か記しますが、「信徒の手引き」において、原子力発電については、一言も記しませんでした。まさに、わたし自身の課題を突き付けられます。 霊性の低さと不明を恥じ、悔い改め、神に赦しを願います。

★  国会の委員会において、反原発の専門家が、すでに総量として、広島原爆の30倍ほどの放射能物質が拡散されたこと、もう一人の専門家は、すでにチェルノブイリの放射性物質の三分の一が拡散されたと指摘し、政府、関係機関を批判されました。明らかに政府、東電は、情報を隠ぺいしているのでしょう。放射性物質の拡散がどのようになされているのか、ドイツなどからの情報を見ることでしか、自分たちの汚染状況が分からないとは・・・。3:11以降、教会の執り成しの祈り、「祭司としての務め」は、原発震災収束が最重要なものとなっています。今なお、危機的状況は続行しているのでしょう。正確に言えば、日一日と、-放射能物質が放出され続けているわけですから-、増大しているとも言えるのではないでしょうか。

☆   次主日開催の読書会は、毎年恒例の「戦争と戦後責任」を扱います。ぜひ、前もってお読みください。 (一昨年の信州夏期宣教講座における登家牧師の講演記録です。)3:11以前の内容ですが、今のこの状況の中で、教会の責任を共に考えましょう。大会や中会として、考えることも大切ですが、信徒ひとり一人が、 真剣に考えることこそ、大切です。それが、ひいては中会・大会の動きを促し、支えて行くことに通じます。教会の「預言者としての務め」を共に考え、そして、実践しなければならないはずです。