過去の投稿2011年8月14日

8月14日

ー牧 会 通 信―

☆   先週の礼拝式、実は、少なからぬ動揺の中で司式、説教を行いました。○○兄が◎◎兄を、病院にお連れしました。しかし、委員会前の昼食をいただいているとき、兄弟が元気な姿で戻られました。最初、熱中症かと思いましたが、家を出られる際、「吸入」を怠られた由。理由が分かりほっとしました。夏の暑い時期、教会に来て、まずは、麦茶です。そして、入堂なさることをお勧め致します。

★  礼拝式後、あらためて体調を崩していらっしゃる兄妹のために、祈りました。私どもの神、主イエス・キリストは、肉となられました。人となられたのです。そして、主イエスは、説教をなさっただけではなく、病んでいる方々を進んで癒されました。もとより、それは、神の国の到来の事実を力をもって証明するためです。主イエス・キリストが共にいて下さるという事実が何を意味するのか、何をもたらすのかを、私どもに示すためでもあります。ですから、私どもは、病の癒しを神に祈り求めてよいのですし、神に祈り求めるべきです。その上で、私どもは、神の愛の御心を知らされ、天の父なる神の子どもたちなのですから、神の子らに対する父の最善のみわざがなされることを信じます。たといそれが、当座においては、私どもの願いとは異なっていても、まさにそこでこそ、Soli Deo Gloria!(ただ神にのみ栄光がありますように!)と賛美するのです。神は、その驚くべき、奇跡の信仰をも祈り求める私どもに豊かに与えて下さいます。

☆  先週はまた、私どもが心ひとつに癒しを祈り求めました○○姉と共に礼拝を捧げ、聖餐の食卓を祝いました。聖餐の恵みを真実に受けることができたとき、私どもは、(個人的には)「もう死んでもよい」という思いすら溢れるでしょう。陰府の力も対抗できない復活のキリストの力に満たされ、天国のいのち、主イエスとの交わり、つまり、究極の祝福、救いにあずかったからです。しかし、同時に、「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。」(ローマの信徒への手紙第14章)さらに、「その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(Ⅱコリントの信徒への手紙第5章)のように、主と共に、主のために生きたい!という心が湧き溢れてまいります。生きるにしても死ぬにしても、私どもの全存在は、主イエス・キリストのものとされているのです。唯一の慰めの中に置かれるのです。私どもこそ、人生の勝利者です。

★  礼拝式後、亘理へのディアコニアを考えている兄妹が、残って、8月末と9月の活動について、懇談しました。老若合わせ10名を越える兄妹が現地に行くことを考えていらっしゃいます。震災後、5か月。なお、復興には程遠い現実があります。公的機関の救援はもとより、ボランティアの方々によってどれほど、被災者の方々が支えられていることでしょうか。彼らの活動の上に、主の支えと守りを祈ります。キリスト者たちも、その中にいます。東仙台教会は、東名地区での泥のかき出しを教会を挙げて取り組んでおられます。

★   神の言葉に生かされ、救われ、建てあげられている教会です。何よりも、神の言葉を伝えるべき務めを受け、そのためにこそ、地上に存在(派遣)させられているのが教会です。被災者の方々、とりわけご家族を亡くされたご遺族、友人、知人・・・。生き残りながら、明日を考えることができないで心が折れかかっていたり、折れてしまっている方々・・・。どのように隣人となることができるのでしょうか。福音を証する教会とキリスト者がどうしても現地に必要です。しかし、今、それをただちに望んでもかないません。であれば、答えは一つ。私どもが、距離を越えて隣人となることです。皆さんで、祈りましょう。そのとき、知恵が与えられ、道が示され、開かれるはずです。

☆  先週の夜の祈祷会は、18名の出席。ホワイトボードをほとんど初めて利用して、「この岩」について集中して学びました。同じテキストから3回の説教でも、語り終えたという思いにははるかに遠いのです。しかも、ここでも、途中、時間切れとなってしまい、忸怩たる思いです。ヨウスルニ、「天国の鍵を行使する教会」!それは、とりもなおさず、伝道する教会のイメージです。天国の門が閉ざされる日が近づいています。逆に言えば、まだその日は来ていません。教会へ、礼拝式へ一人でも多くの方をお招きするのが教会です。

★  本日の読書会、テキストをお読みでない方も、ぜひ。とにかく、この危機的状況にある日本にある教会の責任、使命について聖書によって教えられ、共に考察を深め、実践に備えましょう。