過去の投稿2011年8月22日

8月21日

   先週の読書会は、18名の皆さんと「教会の責任」について、学び、議論をしました。今回は、いつもと違って、登家牧師の講演を前もって読んで頂いた上で、そこからすぐに、皆さんと議論を進めたいと言う「淡い」期待を持っておりました。しかし、ほとんど方々が読んでいらっしゃらなかったので・・・。今回も、一つは当然のことですが、私の主導で行いました。それでも、いつもよりは、懇談、議論のときは多くとれ、充実した学びとそれぞれが【宿題】を与えられて(この宿題、教会の担うべき責任とはたすべき課題)散会したと思います。

★  ○○委員がこのような主旨を語られました。「私どもは、これまで「戦争責任、戦後責任」についての教会の責任について、継続的に考えてまいりました。それは、過去の世代の過ちを二度と繰り返さないための学び・・・。しかし、「3:11」によって、自分たち自身が、次世代から厳しく問われることになった、これからの学びは、これまでとは、同じであって、また質が違ってくる・・・。」まったく、同感です。真実の悔い改めをなすために、何を悔い改めるべきが、正しく認識すること、聖霊に示されることが大切です。

★  講演原稿の冒頭、「共産党とキリスト者はよく「アカ」と呼ばれるでしょう。」とありました。ひとりの兄弟がそんな風に呼ばれないでしょうと異議を唱えられました。学生の頃、毎日、学内で証(個人伝道)に励みました。そして、「アーメン?になったの」「洗礼名は何?」と半分、からかわれた記憶があります。 

-実は、わたし自身、小学生の頃、近くに開拓された教会の日曜学校に通う、子らに、「アーメン・ソーメン・冷そうめん!」と悪童たちと冷やかしたことを忘れることもできません。-

☆  ひとりの姉妹が、ある現代作家の発言を教えてくれました。 「『アカ』(共産党)と呼ばれたくないから、『原発反対』を言えない空気があったのではないか・・・。」さすが!と思わされました。
実に、「アカ」に象徴される言わば「差別用語」を使って、対立する相手(少数者、少数派)の言動を封じる行為が日本には、あちこちに見られます。そのような行為のことをこそ登家先生は指摘されたのでしょう。実際、様々な活動や地方での牧会経験の中で、そのように言われたことがおありなのでしょう。

★   今回の学びの一つの核、ねらいは、そのような日本人の精神風土がどこに、何に根ざすのかということの歴史的認識を共有することにありました。(天皇制の課題は、十分とはまいりませんが、私どもは、何十回となく、読書会他で取り上げました。)そこで、「キリシタン類族令」について、触れました。わたし自身、これも恥を忍んで、申しますと、この文章で、「類族」という言葉を初めて知ったのです・・・。人間の「心」、「良心」を縛る法律こそ、究極の悪法です。神の主権を犯すものです。主キリストを拒否すること、キリシタンを迫害するということが、どのような負の遺産を後世にまで及ぼすことになるのか・・・。まさに恐れ慄きます。

★   しかし、それにもかかわらず、「この日本に」、キリストの教会が起こされ、遺されています。神の赦しの愛が勝利している事実がここにあるのです。これが、教会をして平和の福音を発信し、登家先生の講演によれば、「和解」の責任を果たすべき教会の使命、責任があるわけです。上述の通り、わたし自身、一方的な被害者などではありません。そのような私が、今や、牧師として召され、用いられているのです。教会は、平和(神の国)の基地、平和(天国)の現れ、橋頭保です。先ずは、教会じしんの内に平和が満ち溢れますように。そのために、信仰の一致、霊の一致をいよいよ求めます。共に礼拝を捧げ、御言葉(福音)への信仰(認識)を一つにするために、御言葉と教理を学び続けてまいりましょう。  (今回の読書会については、3週連続で掲載し、宿題を深め、皆さんで考え続ける「よすが」にしていただきたいと思います。)

☆   次主日、○委員を中心に4名の兄妹が、亘理伝道所を拠点に、仮設住宅に入居されていらっしゃる方々へのディアコニア活動に出発致します。わたしも同行したいと、繰り返し思いますが、9月にかけます。先週お伝えしましたように、坂元町に、日本キリスト改革派教会と宣教協力関係にある諸ミッション団体が合同して、ボランティアセンター(名称は分かりません)を建てることが決議されたと、林牧師より伺いました。5月に伺ったのは、まさに、坂元町支舎と近くの仮設住宅でした。わたし自身の「夢と祈り」は、被災地に大会を挙げ、あるいは中会より、開拓伝道をすることです。今後のディアコニアの主眼は、どれほど淡くても個人的な関係を構築することです。

★  奉仕者のために祈りを集めましょう。被災者(の悲しみの心)と向き合う新しい段階の奉仕を担うとき、奉仕者自身が、つよいストレスを受けることなることがほぼ間違いなく予想されます。それだけに、報告にあるとおり、今週の祈祷会で「奉仕者の心得」を学びましょう!