―牧 会 通 信―
★ ○○委員の奨励で、礼拝式を捧げます。原稿を2週間前に拝見しました。時に、他の方の奨励原稿を拝見し、メールで指導することがあります。しかし、今回は、ほとんど何もしていません。○○委員は、説教を共に聴き、共に応答する会員、何よりも牧会の責任を担う兄弟だからです。委員として、教会員の為に与えられた御言葉を語り、その兄弟から、聖書の説き明かしとして、神の言葉として聴いて礼拝を捧げる・・・、そこに教会の姿がはっきりと映し出されることを思います。心から祈っています。
☆ 明日から水曜日までは、久しぶりに信州夏期宣教講座に出席致します。渡辺牧師から、直々にお電話でお誘いを頂きました。亘理へのディアコニアのこと、休暇のこと、様々のことを熟慮の上決断しました。
★ 「休暇を頂くことが、ストレスにもなる・・・。」牧師の本心だと思います。特に、亘理ディアコニアの新たな奉仕に出発される兄妹のことです。机の上で、数日かけて、お手紙、またトラクトの推敲を重ねました。それは、この地でなしうるディアコニアの原型でもあると、思い始めました。行けないストレスは、手紙をさしあげるディアコニアでこそ、昇華されるのではないでしょうか。第一陣の奉仕者たちが、よきコミュニケーションをとられること、切に祈ります。私どもは、被災された方の「悲嘆」に、お便りよってでも、寄り添えると思います。
さて、下記は、先週の読書会についての続きです。
☆ ○○兄は、初めて出席され、こう感想を述べられました。~「これまで自分の教会生活では、教会では政治や社会に関して語り合うことは、タブーのように考えられてきました・・・。とても、良かった・・・。」~
確かに、ある教団は、数十年来、「社会派」・「教会派」と教会の立場を色分けする言い方が続いています。しかし、私どもの教会では、そもそもそのような「色分け」自体がありませんし、あってはなりません。(何故なら、改革派神学は、生活の全領域において、神の栄光をあらわそうとする「全包括的な信仰」だからです。信仰を単に心の安心、魂の救済だけに捉えることはもとより、社会変革、社会活動の基地にするなどというイデオロギーによる教会の支配も、聖書的な教会理解から離れます。しかし、私ども自身も常に注意しなければなりません。人間によって形成される教会は、放っておけば、自己中心的に進み行くことになるからです。(自分たちの居心地のよい交わり、宗教施設にしたい・・・。教会は、自分の心の平安を受ける場所・・・etc)
★ 下記のようなメール交換がなされました。皆さまにもご参考になるかと思い、了解を得て、記します。
【8月の読書会は、特に、名古屋岩の上教会の設立の原点にもかかわる問題意識をもって、なしてまいりました。「この日本に」「神の教会を形成する」という課題です。「日本を神学的に考察」し、その上で、「神の」、「キリストの教会」を建てることです。その言葉の裏には、人間のことを思い、優先し、結局、十字架の道から外れて行く・・・人間的キリスト集会・・・を克服するための開拓伝道という設立の志があるのです。そのような神の御言葉と信仰告白に立つ教会へ、御言葉によって絶えず改革される教会へと徹底することです。これまでの学びの資料・・・、これは、わたしの性格上からもきちんと整えていません・・・。「それを見て(読んで)下されば・・・」と言いたいのですが、困難であること、申し訳なく思います。
今回は、皆さんともっと深く、議論したいとの願いがありました。なかなか、難しいかと思いますが、しかし、また、議論を深め、事柄の本質へと沈潜してまいりたいと願います。そして、そこから、立ち上がり、主に奉仕を捧げてまいりたいと願います。これからも、読書会、祈祷会を中心に据えて進んでまいりましょう! 】
★その後、○○委員から、学びの記録があるとのメールを頂き、こうも記されていました。【「私自身も、これらの資料を学び直して、主日の読書会で相馬牧師より出された課題、3.11以降、この国、教会が新しく変わるために何をなしていく必要があるのか?教会員一人一人が神の御前に深く考え祈り、教会としての方向性を話し合う、良いきっかけにしたいと思います。」】 これに対して、 【「先回の読書会、私にとっては”平和を実現する教会”につきまして、新しく目を開かれる機会となりました。三輪姉妹からのメールで、岩の上教会では設立当初から平和の問題を熱心に学び、実践しておられたことを知り、感動しました。私も、この教会の一員として加えていただきましたことに、改めて感謝申し上げます。」】と応答がありました。
★「~2006年から始まったディアコニアの学びは平和の学びと並列させて、この平和の学びが、ディアコニアの学びに続いていくと思いました。~」(三輪委員)まさに、その通りだと思います。平和(和解)の福音によって救われた私どもが、平和を造り出す神の子としての使命をどのように生きるのか。それは、国家規模の平和構築はもとより、小さなディアコニア実践へと必然的に方向づけられて行くものとなるわけです。
★「開拓伝道」は、この地にあって、まさに、キリスト教会の2000年の歩みにおける遺産、伝統を展開する営みです。開拓教会の形成に召された私どもは、キリスト教の本質、神の御言葉の力を、自分たちの現実のものとして学び、それを生かすことができる特権に招かれています。どれほど幸いなキリスト者の人生となるでしょうか。とりわけ、若い世代(少なくともわたしは若い世代と考えています!)の兄妹の特権を思います。「この」教会に奉仕できる幸いを、知ることができますようにと、ひたすら祈ります。