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9月4日

 ―牧 会 通 信― 

★  下記、亘理伝道所におけるディアコニアのために記したお便り他をご紹介します。
【2011年8月30日 「被災されたあなたさまへ」   
日本キリスト改革派教会 名古屋岩の上伝道所 牧師        
 
  「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」  マタイによる福音書第5章4節

突然に、このようなお便りを差し上げます非礼をお詫び申し上げます。わたしは、名古屋市緑区で牧師をしている相馬伸郎(のぶお)と申します。ご無事でいてくださいましたことを、心から感謝申し上げます。
大震災のその日から、生活に必要な物資が速やかに十分に届けられますように、
何よりも、天地創造の生ける神の助けと慰めが注がれますようにと祈ってまいりました。

はや半年が過ぎようとします。しかし、あなたさまの悲しみは、日を増すごとにお体に、そして心に重くのしかかり、縛っておられるのでは・・・と、心から案じております。なお行方が分からないままの方、ご家族を亡くされたあなたさまの悲しみがどれほどのものであるのか・・・、しかも、避難所で声をあげて泣くこともできなかったであろうあなたさまを思いますとき・・・、 ことばがございません。

上述の言葉は、主イエス・キリストがその弟子たちに語られたことばです。
一読、ご気分を害されてしまわれないかと案じます。いったいどこが、何をもって幸せだと言うのか・・・。
確かに、このようなことばは、まさに神以外には言えないことばではないでしょうか。
しかし、主イエス・キリストは事実、その悲しみを神に訴え出るその人と共にいてくださり、 その悲しみを慰めてくださいます。イエスさまは、あなたさまのために、共に涙をながしておられる、愛と憐れみそのもののお方だからです。実は、私どももこのようにして、このお方から、心に慰め、元気を受けて来たのです。
どうぞ、その悲しみを心の奥深くにしまいこまず、流せるだけ涙を流してくださいませ。

主イエスは、弟子たちに、「悲しむ人と共に悲しみなさい」とお命じになられました。キリストの弟子である私どもは、許されますなら、あなたさまのために、お祈りさせていただきたい、なによりも悲しみをともに悲しませていただきたいと、切に願っています。
   
短い夏も終わろうとしています。
ご不自由な生活がなお続くことと拝察いたします。どうぞ、ご自愛くださいませ。】

☆  被災者の方々の隣人となる道・・・。私どものディアコニアの課題の中心はそこにあります。現地に行かずとも、できるはずです。一方で、直接の隣人となり、キリストの弟子としての特別の奉仕者が必要です。次回のために、被災地にある教会のために、奉仕者のために、なお祈りましょう。

★  本日、後藤先生の説教奉仕を頂きます。心から感謝する者です。お許しを得て、先生からのメールをご紹介いたします。「~岩の上伝道所が福音宣教の戦いを良く戦っておられることが週報を通して伝わってきて、大変励まされています。霊的な活力を失っている教会もあるなかで、岩の上伝道所のような教会が存在していることに励ましを受けるのです。主の特別な恵みがこれからも注がれますようにお祈りします。」/「岩の上伝道所はとても元気で、これからが楽しみな教会です。相馬先生の魂への情熱が教会の姿に表れていると思います。」

皆さまにとって、外からの評価を伺うことは、ほとんどないと思いますのであえて、記しました。牧師としては、「岩の上」・・・感謝に尽きないのです。一方で、弱さと欠けにも目が留まりやすいのです。いきおい、皆さまには、「厳しい父親」(?)のように接してしまいます。先生から、「慈母」(?)のごとく、お話いただけますことは、外から、説教者をお招きする幸いであると思います。霊的な深みのある説教・・・を聴聞して礼拝を捧げることのできる皆さまは幸いです!