過去の投稿2011年9月20日

9月18日

―牧 会 通 信―

★   大震災からちょうど、半年が経ちました。8月28日~30日。亘理伝道所の近隣の仮設住宅をわずかの物資(こちらからは清涼飲料水)をもって、必要物資をお尋ねし、今週の物資支援の開拓する奉仕を担われました。もって、これからの「文通」へと橋渡しして下さいました。初めて被災地に赴かれたお二人の姉妹方は、どのような思いを抱かれたことでしょうか。やはり、これまで以上に、祈りの中に覚えないではおられなくなったかと拝察いたします。以前の「ディアコニア委員会」において、5月に現地に赴いた奉仕者は、できる限り多くの方が、とにかく現地を見ることをとお勧めしました。しかしそれはまた同時に、心の重荷、ひとつの新しい十字架を担うことにも、なる。そう思います。祈りの課題が増えるのです。切実になるのです。

☆   手編みのソックスを編むディアコニアが始まっているのでしょうか。姉妹の中で、すでにその奉仕をしておられる方もいらっしゃり、また、教会の関係者の方々、未信者の方々がたくさん編んでいてくださることも、伺っています。これもまた、とても意義のある教会のディアコニアです。現地に行くことのかなわない方々と被災者とを教会が結び合わせる・・・。地域の方々にチラシを配布し、物資支援を呼びかけたことと同じです。

図データ3.Jpeg   先週、一通のお便りを頂戴きたしました。アンケート用紙に、つつましい物資のご指定、そして近況をお教え下さいました・・・。予想していましたが、すべての方々、多くの方々が筆まめに、お便りを出して下さることは、難しいと思います。しかし、「グリーフケア」の学びのレジュメにも記しました。手書きのお便りを、仮設住居のお部屋に大切に飾っておられる方々もいらっしゃるとのことです。どうぞ、何ができなくとも、皆さんで、この「文通のディアコニア」へのご参加を強く願います。契約の子らも、参加してほしいです。 仙台教会の子どもの教会から、きれいな「お礼状」(作品と言うべきでしょう)を頂いています。子どもの絵、子どものことば、それだけでも素晴らしいのではないでしょうか。 5月にある避難所に伺ったとき、イタリアの女の子だと思いますが、下記、写真にあるお便りを忘れられません・・・。見えにくいと思いますが、こうあります。
  「日本人は大切なことが桜です。イタリア人は大切な事が日本人です。」
意味は、一読、つかみにくいですが、通じて来ます。被災後、まさに世界中から被災地
に向けて、お便り、支援物資が届けられたのです・・・。 
さて、キリスト者とは、一人の例外もなく、手紙を読み続けて生きている人々に他なりません。そうです。聖書、神からの愛の手紙のことです。この手紙、この神の生ける御言葉に支えられ続け、生かされてまいりました。
先週の説教は、聖書に証されているイエス・キリストは、わたしたちの生と死において、聴くべき信頼し、従うべき唯一の神の言葉と学びました。天のお父さまは、弟子たちに対して、「御子イエスさまの御声、御言葉を聴け!」とお命じになられました。聖書は、このイエスさま、父なる神の御心が、地上に書き送られたのです。書いたのは、人間です。
いずれにしろ、この手紙を読んで、天国を目指す歩みが成り立つのです。さて、その新約聖書の中で、もっとも分量が多いのは、言うまでもなく、「手紙」です。キリスト者は、「~信徒への手紙」「~への手紙」と・・・、 まさに、毎日、手紙を読む喜びを知っているのです。
そして聖書は、この手紙を読むその人じしん、そして何よりもこの手紙によって形成される教会そのものを、神からの手紙としてしまうのです。そのためにこそ、この神からの手紙は書き送られていると言っても言い過ぎではありません!Ⅱコリントの信徒への手紙第3章3節以下に、こうあります。「あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。」愛の手紙を読む教会(キリスト者)は、存在がこの世に向けての手紙として変容されて行くのです。ディアコニアは、教会がまさにこの世に向けて神の愛の手紙として機能する、応答するありようを意味しています。
名古屋の地から、「執り成しの祈り」と「お便り」をもって、被災者と寄り添うことができますように。今週の現地へのディアコニアを、神が、ディアコノスのおひとりお一人を手紙としてくださいますように。人の心の板に書かれている不思議な手紙ですから、必ずしも、自分じしんで読みあげる必要はないのです。