過去の投稿2011年11月7日

11月6日

 ―牧 会 通 信―

☆  先週は、全体研修会でした。○○委員が書記として、発言を記録をしてくださいました。  皆様にチェックしていただき、訂正、補足、もしくは削除の要請があれば、○○委員にお願いします。欠席者の兄妹のために、とても大切なよき奉仕をしていただき感謝いたします。

★  3年に一度開催される、福音主義神学会全国研究会議が終わりました。都内の神学校を会場にして、165名の出席者に恵まれたとのことです。全体課題は、「説教」でした。前回は、「伝道」で、二回連続で、奉仕を担わせて頂きました。最初に、全体主題が「説教:コミュニケーション・トランスフォーメーション」と告げられました。「何のこと?」と理解できませんでした。しかし、説教は、会衆とのコミュニケーションによって、会衆をトランスフォーメーション(変容・変化)させることを目指す、という主旨でした。
   共に講演された堀牧師は、ルーテル神学大学の講師でカウンセリングの専門家です。わたしは、どちらかと申しますと、牧師がカウンセリングの専門家になることに、消極的です。しかし、先生は説教そのものにカウンセリングの効果を求め、取り組んでいらっしゃるとのことでした。本当に、嬉しく感謝して拝聴しました。

☆   この神学会は、いわゆる「福音派」の神学校関係者が名を連ね、発題者の多くがそうでした。もとより、日本キリスト改革派教会は、いわゆる「福音派」ではありません。この「福音派」とは、「教派」を意味する概念ではありません。研究会議に集う方は、まさに様々な教派的背景をお持ちです。しかし、そこで、改革神学に立つ者としての務めと責任を思うとき、お招きを受ける限りは、お断りしないようにと考えています。

★  カウンセリングの専門家の牧師のご講演を伺い、 「汝(なんじ)自身を知れ」を思い起こしました。これは、有名なギリシャの哲学の祖、ソクラテースの言葉として伝えられた格言です。かつてこれは、人間誰しもが、自分を見つめ、内省することの課題として認識されていたと思います。しかし、現代は「心理学」「カウンセリング」が興ってきました。神学校でも、必須の教科とされています。-そこにしかし、大きな落とし穴もあるのですが・・・- 「自分を知ること」、これは、どの時代の人間にも、根本的に大切なテーマだと思います。現代のギリシャでは、「なんじ じしん を 知れ」は、酒場の入り口に貼ってあるとのこと。つまり、「自分の限界を知って、飲みすぎないように!」ということです。とっても大切なことでしょう。しかし何より、自分の性格、自分の性向、こだわりやゆがみ・・・これらを、きちんと把握すること、これこそ、大切です。

☆  ひるがえって、牧師のことを思います。信仰の指導者ですから、自分のキャラクターをきちんと把握することがなければ、極めて危険となってしまいます。また、それは牧師のみならず、誰でも、自分が何故、このような考え方、行動をとるのか、その深い理由、動機がどこにあるのかを考えること、分析することも無益なことでは決してないと思います。神の御顔の前に、裸になって祈り、黙想を深めること、これこそ秘訣です。

★  私どもは「罪人」、これは、キリスト者の自己理解の基本です。罪人だから、神とのまっすぐな関係(正しい関係。これを聖書用語では「義」と言います。)を失い、それゆえに、隣人とのまっすぐな関係、自分自身とのまっすぐな関係を失い、ぎくしゃく、してしまうわけです。わたしどもは、主イエス・キリストにおける「神の義」によって救われました。(救いとは、神との正しい関係へと回復されること。神の怒りから解放され、赦しを受けること。)しかし、なお、実質である「心のゆがみ」は残っているはずです。そこに、聖化の課題と約束があります。恵みの手段(説教・聖餐)を熱心に用い続けることによって、関係としての義(救い)から、神の子としての実質を与えられて行く聖化の歩みを、一歩一歩、歩むことができるようになります。

☆  大会執事活動委員会で、仙台にまいりました。新幹線を利用すれば、教会から教会まで、5時間たらずでした。わたしに特に課せられた務めは、日本キリスト改革派教会にディアコニアの神学の構築と浸透の旗振り役となること、そして、なによりも亘理・山元町の「ミッション協議会」の働きの窓口となることです。(世界のキリスト者が被災地を覚え、尊い、また莫大な献金が捧げられています。)わたし自身は、「平和の神学」の構築、そして「ディアコニアの神学」の構築こそ、大会的な緊急的課題と考えていました。平和の神学については、祈祷会で祈っていましたが、ディアコニアの神学についても祈祷課題としたいと思います。その神学が本物かどうか、それは実行、実践するかどうかにかかっています。 

★   八事伝道所の新会堂の献堂式に男性委員と出席しました。8年前、120名以上の列席者の前に、会員一同で「献堂の辞」を読み上げたことを思い起こしました。建築を通して、○○兄が洗礼入会へと導かれたことを、鮮やかに思い起こさせられ、御名を心からあがめました。「伝道のために、この会堂を・・・」