過去の投稿2011年11月21日

11月20日

 ―牧 会 通 信―

★  先週の火曜日、木曜日と男性のための祈祷会が開催されました。とても、感謝なとき、大切な集会でした。火曜日、いつもの祈祷会とはまったく違い、「説教」「学び」はありませんでした。わたしも参加して、言わば、全て雑談。ただし、信仰の雑談です。いへ、やはり教会的、丁寧な言い方をすべきでしょう。「信仰の対話」です。出席者は5名。5名だからこそのものです。 この企画、ぜひ、今後の継続を心から願います。

  水曜日の定例の朝夕の祈祷会(27名出席)でも、お分かちしましたが、ここに記載(記録)します。
【「聖書、リジョイス、説教・・・、自分の生活の 遠くに感じる。」→「何故、聖書は分かりにくいのか。それを克服する最も大切な道は、教会に生きること、教会(集会)に深くコミット(かかわり・参与)すること。

  私たちは、「信仰生活」を、「教会生活」として、意識的に言い交して来た。信仰生活とは、即、教会のために、教会と共に、教会を通し生きること。信仰に生きるとは、抽象的なことではなく、具体的な教会の形成に組み込まれ、教会の枝として生きること。洗礼は、教会への「入会」を目指し、なされる。会員とは、現住陪餐会員。しかも、ここでの教会とは、家庭生活、職業生活など、地上の営みのすべてを含みこんでいる。教会生活(=信仰生活)が祝福されるためには、「聖書生活」が要。つまり、聖書に日々、耳を傾けること。同時に、教会生活があるからこそ、聖書生活は祝福され、聖書が分かってくる!教会と距離があるとき、聖書(の恵み、福音の慰め、喜び、励まし)は遠く離れて行く。要は、教会(集会)への参与!】

☆ 朝の祈祷会で、質問を受けました。極めて重要ですので、改めて文書に記して、お互いの基本線を確認し、深くわきまえることができるようにと、心から祈ります。それは、 「教会形成のために、キリスト者、現住陪餐会員は召されている・・・。」この言葉を巡るものでした。

「それなら、教会に「慰め」を求めて来てはいけないのでしょうか・・・。」

わたし自身は、すでに、何度も、お応えしているとの気持ちがありました。しかし、何度でも、お応えすることも大切なのかと思います。そこで、このような主旨をお応えしました。

【誰ひとりの例外もなく、最初に、教会を尋ねて来られた方で、「神」を求めて、言い換えれば、神の栄光を求めて来られる人はいません。皆さん、そうだったはずです。自分じしんの悩み、家庭の悩み、体や心の病、つらさを抱えて、その問題の解決を捜す一つの道として、教会に来られたはず。
(※参照:ローマの信徒への手紙講解説教で、第3章11節。「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。」)

     しかし、そのような私たちは、教会を通し、聖書によって、イエス・キリストと出会った。そこで、自分の罪こそがすべての問題の、根源だと教えられた。そして、自分の罪を認めることができ、悔い改めを与えられ、イエス・キリストを信じる信仰が与えられた。こうして、抱えていた様々な問題、課題、悩みに対して、直接的な解決、たとえば病の癒しを体験せずとも、それらが自分を苦しめ、生きにくくしていた状態から解き放たれる。これが福音の力、救いの恵みの力である。

岩の上は、「慰めの共同体」たることを必死に求め、それが実現している。しかし、その慰めは、福音の慰め、赦されるはずのないわたしが、私どもが赦され、神の子とされたという慰め。それ以外の「なぐさめ」ではない。教会に生きることによって、私たちは救われる。それは、何も、≪伝道せよ、奉仕せよ、献金せよ≫等ということでは、まったくない。東北に何度も赴き、献金、献品することで、岩の上教会が≪大きく≫なるわけではない・・・。】

★  この問いは、もはや、繰り返される必要はないものと思います・・・。しかし、腑に落ちない・・・・。繰り返します、≪教会(信仰)生活=聖書生活を!≫    

☆  聖書を福音的に読む秘訣。律法を密よりも甘く味わう道。祈祷会で、お話しました。しかし、実際は、いっしょに、テキストを開いて、まさに手とり足とりの手ほどきも必要、有効かと思います。それを、牧師だけがすることでもないはずです。信仰の先輩たちが、それを分かち、伝えてくださる、それを願います。

★  落ち込んで、悲しみにつぶされそうなとき、心を高く挙げ、聖書の御言葉、説教のかたりかけを待ちます。主イエスを仰ぎます。私の主イエスは、罪に倒れ伏していた私たちを、いのちをかけて立ちあがらせ下さいました。赦されざる私は、主の愛と赦しの光を浴び、赦されました。こうして私たちは、今、強くなりました。これまでの私以上のわたしとなりました。今や、聖霊の力によって、どんな困難の壁をも乗り越え、山の頂上に登り、栄光の故郷を仰ぎ見ながら、いよいよ希望の光に照らされ、将来の祝福を先取りしながら歩みます。

☆  来週のコンサート、先ずはご家族、そして友人、知人をお誘いしましょう。