過去の投稿2012年1月17日

1月15日

―牧 会 通 信―

★12月現地ディアコニアの報告書を配布しました。どうぞ、熟読下さい。この欄にも、私の個人的な報告の一部を転記させていただきます。また、先週の仙台におけるミッション協力協議会の出席と合わせて行った亘理旧館・坂元中跡の仮設入居者訪問の報告も記します。

☆   今回の訪問において、私どもは、返信をいただいた方を中心にお訪ねさせていただきました。そして、最初にお訪ねした世帯で、すぐに部屋の中、コタツの中へと通されました。こちらから伺ったわけではなく、津波のときの様子をくわしくお話してくださいました。お茶を頂きながら、じっくりお伺いしました。ただし、そのままだと、半日、過ぎてしまうのではと思うほどでしたので、後から来られた方々と共に、皆さまの前で、祈らせていただき、失礼しました。今回の特定の世帯への訪問では、すべての方々が、胸襟を開いて歓迎してくださったのでした。ご遺影とご位牌の前で、主なる神に祈りを捧げることもありました。それ以外の方の訪問においても、「亘理教会のものです。名古屋からまいりました。今回で4回目になります。少しよろしいでしょうか。」こう申し上げると、すぐに受け入れていただけます。そして、手編みの靴下の「物語」をさせていただき、その後、クッキーの「物語」、御言葉入りカレンダーの「説明」、最後にもっとも力を入れたのは、「お便りとリクエスト物資」の「説明」です。「中身のないクリスマスプレゼントですが、ぜひ、お困りの物があれば、遠慮せずに記載して、切手を貼っていますのでそのまま投函してください・・・。できる限り、お答えさせていただきます。お便りをお待ちしています。」そして、最後に、「春に、また必ず伺います。」と申し上げます。その時、皆さまの瞳の中に、驚きと喜びの光を見ることができました。それは、いっときのボランティアではなく、腰を据え、本当に、自分たちのことを支援している人たちなのだという信頼の光ではないかと、勝手に解釈しています。前回、娘は、お祈りに対して、消極的でした。「押し付け」になってしまうことを案じていました。しかし、今回むしろ、私どものこのディアコニアは「お祈り」こそ、その重要な軸となると、手ごたえをつかんだようです。確かに9月のディアコニア委員会の折、ある危惧をお持ちの方もいらっしゃったかと思います。しかし、キリスト者として何ができるのか、すべきか、その答えの頂点にあるのは使徒ペトロとヨハネのこの言葉ではないでしょうか。「金銀はわたしにはない、しかし、私にあるものをあげよう・・・」もとよりそこに至るまでの信頼関係の構築、何より相手の状況(他宗教の信者であるとか)に鑑みてのことであることを忘れてはなりません。 一言のお祈りの後、とめどなく涙を流されたご婦人・・・。娘は、その方のためにお祈りする人の存在こそが、その方に必要であると悟ったのではないかと思います。それが、前回と今回の奉仕の感想の違い、手ごたえにおける差になったように思います。

★  13日の仙台の会議の旅費を有効に使いたいとの思いから、また、頂いたお便り(リクエスト物資)にもお応えしたいとの思いから、スガキヤさんの「味噌煮込みうどん」をスーツケースにびっしりと詰めて伺いました。朝8時に、雪の舞う仙台のホテルに、大野長老が車でお迎え下さり、午前のときを有効に用い、1時の会議までに、計画通りのディアコニアを果たすことができました。初めてかと思いますが、今日の説教でとりあげています・・・。山元町の支援センターの名称は、「のぞみセンター」と確定しました。春には、起動できるようにお祈り下さい。

☆先週の定例伝道所委員会に、岡本直人兄に続き、真理姉も陪席されました。つまり、伝道所委員への召しを自覚され、応答されたということです。今年の目標は、もはや、記すまでもない事と信じていますが、「教会設立(小会組織そして執事会組織、牧師招聘)」です。昨年の秋からの「祈祷のしおり」には、すでに、「12年度内もしくは13年4月までに設立を果たすため・・・」とわたしの責任で掲げています。いよいよ委員方の信仰と献身が問われます。確かに、委員の資質と信仰、召しと献身こそ、厳しく問われます。しかし同時に、現住陪餐会員の信仰の成長、献身も問われます。「到達したところ」に基づき、歩調を合わせて、「前のものに向かって」前進を!

 先週は、わたしの誕生日にほとんど全員の現住陪餐会員より、心温まるカードを頂きました。一枚一枚、皆さまが書いて下さった言葉に、感激いたしました。ほんとうに幸せな牧師です。これにまさる喜びはありません。感謝いたします。・・・わたしは、カードを出し遅れることがあります。後から頂ける方・・・、大歓迎です。