過去の投稿2012年4月16日

4月15日

 

―牧 会 通 信―

★   先週の復活祭の礼拝式は、まことに恵みと喜びと主イエスの聖なるご臨在を深く覚える、まさに復活の主のお祝いでした。さらに、愛餐会。おそらく、司会者は、いつもより短くとの思いをもって、全員の祝辞は、数十秒で、自己紹介だけ・・・と指定されたのですが・・・。喜びと感謝は抑えきれなかったのでしょう・・・。

★  お祝いの言葉。これこそ、キリスト者の醍醐味です。説教では、復活の主イエスの最初の御言葉「おはよう」を巡って語られました。原稿には、まったくありませんでしたが、子どもの礼拝式のテキストに影響されました。「おはよう!」まったく、普通の挨拶です。しかし、主イエスは、「シャローム」(ヘブライ語で、「平和があるように」との意味を持つ)と挨拶をなさったのです。ユダヤ人は、朝昼晩、いつも、シャロームと挨拶しいます。まさに、人と人とが出会うときに、互いに交わす言葉です。その当たり前の言葉の中に、しかし、「義と認められる」「義とする」という使徒パウロが福音として語った神の救いの恵みが込められています。ですから、私どももまた、教会の中ではもちろんのこと、普段の遣わされた生活の中で、「おはよう」の言葉に心を込めたいのです。つまり、私どもの口から、「祝福の言葉」が告げられ、溢れるようにということです。そのために、心を新しくしていただき、自分を変えて頂きたいのです。私どもの全存在が、祝福を告げる「口」となりますように。

★ おいしい御食事。心を込めて作られた、心にもおいしい昼食でした。その中には、仮設入居者の方からのどら焼きもありました。わたしの中では、どら焼きは史上最高の美味でした。(本日は、物資をお届けした方よりいただいた手作りの梅干しときゅうりの佃煮、-夕べの祈祷会で、すでにいただきました-も、味わえると思います!)

★ おいしい「ゆべし」。○○さんから、福島名物「ゆべし」をたくさんいただきました。皆さんも、めしあがられたと思います。愛餐会では、突然でしたが、マイクを向けさせて頂きました。既に、5回、共に礼拝式の恵みにあずかっておられます。○○さんとの出会いは、メールを頂いたことに始まります。毎日のように、「メル友」!?です。彼女のお許しを得て、先週、頂いたメールを転載させていただきます。福島県浪江町から、来られた被災者。そして、進行性筋ジストロフィーを病んでおられます・・・。神の摂理による出会いです。

【今年の3月11日までは、
というか・・・福島の海を再び見た4月1日までは・・・海が憎かったです。
震災の前は海が大好きだったけど、全てを海が奪いとってしまった時から、海が憎かったです。
でも、福島の海を再び見て、黒い海が来ない海はやっぱり大好きなんだなぁ~と確認できました。
穏やかな海の写真を撮りながら、
あぁ…この海が家族7人をバラバラにしたり、家を飲み込んだんだ~って・・・苦しい思いと 逃げてた時に助けを求めていた人たちは、今は? とか思うと、悔しさが勝つ感じの、やりきれなさがあるけど。
今は何も憎んでないです。

海を憎んでも・・・
地震を憎んでも・・・
神を憎んでも・・・
原発を憎んでも・・・
何も変わらないです。
誰かが苦しい思いをするのはもう見たくないです。
誰かを恨んで何かが変わるなら恨むかも… 、
でも、恨んだりしても良い方向には動かず、サタンの闇の渦にのまれてゆくだけだと思うから、
誰も恨んだり 憎んだり 罵ったりしません。
ただじっと…ひっそりと、祈っていたいです。
父母兄姉を奪い…友達、親戚知り合いを奪い…辛いけど、
前に一歩踏み出さなければいけないのだなと、今は思っています。  】

★ この数週間、毎日のように被災者の方にお便りを記しています。しかし、主は、教会の中に、被災者との出会いを導いて下さいました。岩の上の歩みは、主のご支配の歩み、奇跡の歩みです。