過去の投稿2012年4月23日

4月22日

 

―牧 会 通 信―

★  先週の朝夕の祈祷会で、コロサイの信徒への手紙第3章12節~17節を読みました。この小さな手紙を、これまでどれほど読んだことでしょうか。1時間もあれば、じっくり味わって読み終えられます。何十回、何百回でも、聖書の中にあるこのような短い手紙に慣れ親しむことは、どれほど有益であろうかと思います。ちなみに、このような個所を、「学び」のテキストにして、みんなで黙想し、それを互いに分かち合えば、どれほど霊的な祝福を受けることでしょうか。

☆  「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(15節)主の平和、神の平和の意味です。ご復活のキリスト・イエスからの、あの「おはよう!」の挨拶に込められた祝福の言葉、宣言に通じます。主イエスは、「わたしの平和が、神の平和があなたにあるように!」と、私どもに告げるためにこそ、ご復活されたのです。この平和に、会員ひとり一人が、深く与らせて頂けますように、それが牧師の毎日の祈りです。

★  「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(16節)そのためには、キリストの言葉(神の生ける言葉そのものの意。)(記された神の言葉=聖書)(その聖書を説き明かす神の語り=説教)(目に見える神の言葉=礼典・聖餐)によって、生きておられるキリストが心の内に「宿って」=住み込んで下さいます。そして、ご支配くださいます。こうして、不安、いらだち、不信、憎しみ、批判、心を波立たせる「自分の=人間的=肉的ことば」は、追い出して頂けます。そのとき、キリストに満たされ、キリストの言葉に満たされます。そのために、私どもは、これまで「説教の分かち合い」という集いを大切にしてまいりました。

「知恵」を尽くして、互いに教え合うこと、諭しあうことが大切です。そこでの知恵とは、信仰の兄弟を、求道の友をどのようにすれば、主の恵みに近づき、励ますことができるのか、神をほめたたえ、感謝できるのか・・・というこれまでにないまったく【新しい】、【霊的な知恵、上からの知恵、神の知恵】のことです。

☆   キリスト者は、個人では、決して、聖書の全体の真理をわきまえ、生かされることができません。これは、「決して」と言いきって良いのです。だから、キリスト者には、「友」が必要です。(「教友」のことだけを意味していません。兄妹は、互いの友です。しかもそれを、務めとして担うのは、教会役員であり、牧師に他なりません。その意味で、牧師は、究極の友であるべきでしょうし、そうなりたいと願うのです)教えられること、 諭されること、これは、若ければ若いほど、容易なのだと思います。この若さとは、単に年齢のことではなく、まさに「心の若さ」です。心の若さがあれば、人間は、まさに死ぬまで成長を続けることができるはずです。 教えられ、諭されることを「牧会」と言い換えることもできます。ちなみに、私どもの「政治規準」では、「治会」とあります。同じことです。治会とは、教会共同体の「建徳」「建て上げ」「形成」に力点を置いた表現です。

★  「詩編と賛歌と霊的な歌」主日礼拝式での賛美の事柄が、教会員どうしの交わりを扱うこの文章に、なぜ、入り込むのでしょうか。とても不思議です。おそらくパウロは、「神礼拝の姿勢」を、日曜日の朝だけに限定しないで欲しい。教会員の交わりのなかでも、この神への感謝と賛美の姿勢を保ってほしいとの強い、願いと勧めがあるのでしょう。私どもの教会が大切にする「礼拝的人生、礼拝的生活」のことに他なりません。

☆  「そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」(17節)これを読んだ初めの頃、思いました。「なんだか、キリスト者の会話って大変だなぁあ。」確かにその面があると思います。だからこそ、毎日、「悔い改め」が必要であるわけです。しかし、一方で、私どもの「口」が主の愛のことば、恵みのことば、福音を宣言できる、「しらない間」に、福音の口とされていたということも、起こります。だからこそ、私どもは、この御言葉を味わいつつ、服しつつ、そして祈り求めるのです。「わたしの口を、あなたの口にしてください!」と。

★  「のぞみセンター」が遂に、リフォームを終えることができました。OPC(米国正統長老教会)からの献身的な奉仕者チームによって、完全に津波によって破壊された一階部分(内装)も、気持ちよく会議ができ、二階は、住居空間として整えられました。引退世代が中心のようにお見受けしましたが、青年、しかも女性も(弁護士の方)大工道具を使って、バンバン、建築しておられました。アメリカをはじめ、韓国、オランダ、ニュージーランドからも献金が届けられています。共に、力を合わせ、被災者に、キリストにある新しい自立を神が与えて下さるために、寄り添い続け、祈り続けてまいりましょう。 Soli Deo Gloria!(栄光、主にのみあれ!)