★ 第6回の被災地ディアコニアについて、わたし個人の感想、報告を記載致します。
今回は、当伝道所より7名。前回に引き続き愛知県立芸術大学の5名。加えて東部中会より青年2名。東北中会より青年2名、最後に稲毛海岸教会の三川牧師。総勢17名の奉仕者が起こされました。
今回のディアコニアの中心は、4日の「遊びのディアコニア」でした。毎回のことですが、現地ディアコニアは、「出会い」に応じて導かれるものです。前回の仮設住宅でのカフェにおいて、子ども向けのさまざまなプログラムを行いました。両親、兄妹を津波で喪ったばかりか、自分じしんも死の恐怖すら覚えさせられた子どもたち。緊張を強いられた避難所生活。なお、仮設での不自由さと緊張を強いられ続けている子どもたちとの出会いです。別れ際に、「また、来てね」「また来るよ」という関係になりましたから、今回のディアコニアはまさに必然であったと思います。
当初、さまざまな事情から、申し込み葉書は三枚のみでした。しかも、直前にキャンセルもありました。大勢の奉仕者が行くことの意味を思いめぐらしました。当日、二つの仮設に伺って、子どもたちとご父兄に直接声をかけました。わたしは、主イエスの婚宴の譬え話を思い起こしていました。「大通りに出て行って、見かけた人は誰でも・・・」です。亘理旧館、坂元中跡から14名の子ら、加えてひと組のご両親、ご祖母も加わって下さいました。奉仕者はまさに多く必要であったのです。子どもたちは、思いっきり遊べたと思います。自然に恵まれた、ほぼ貸し切りと言ってもよいくらいの場所です。遊具でも遊びましたが、何よりも、山の斜面や道路の側溝!!(前日の多雨のおかげです)でワイルドに遊びました。親と一緒では、あそこまでは・・・という程です。学生、青年たちは、力の限り遊んでくれました。最後には、お風呂に入るというおまけもつきました。おそらく、一生忘れられないような経験ではなかったかと思われます。もし又、このような企画がなされたら、彼らは間違いなく参加してくれるでしょう。口コミによって、さらに多くの仮設の子どもたちが参加されると思います。
同時に、送り迎えの車中で、子どもたちの会話を聴きながら、ある深刻な思いも抱きました。本当に、彼らの置かれた環境、被災による精神的な傷の現実をなまなましく(もとより、被害は現実、具体的です)思わされました。子どもたちのケア―の必要性は、明らかです。祈り続けなければなりません。
☆ 5日は、のぞみセンターの開設感謝礼拝式、オープンハウスでした。こちらも、当初の不安をしのぐ85名余の方々が集って下さいました。理事の一人として、式の内容を準備いたしました。それ故に、私が説教「私たちの隣人」を担いました。礼拝後は、芸大生たちのコンサートでした。前回も幸いでしたが、今回は、さらに音楽性が高められたすばらしい合唱でした。讃美歌、アンパンマンのマーチ、美空ひばり・・・。いつか、皆さんにも聴いてもらいたいと思わされます。
特筆すべきことは、坂元中跡仮設入居者で、文通の交わりの内にありますご婦人方が来て下さったことです。食事の前に、一言をお願い致しました。礼拝式におけるどのことばより、おそらくもっとも皆様が集中して聴かれた「ことば」でした。周囲の多くの方々が津波で命を奪われましたが、ご夫妻は危機一髪のところで助かったのです。「イエスさまのおかげではないかと思います・・・!」拍手が沸き起こりました。私は、すでに、求道者になりつつあると思わされました。また、私は、生まれて初めてかもしれません。「相馬」の姓で良かったと思わされました。と言うのは、彼女は、「何人かのキリスト教の人の中で、手紙を書いたのは、相馬先生の名前に懐かしい思いを持ったから・・・」と仰ったからです。その後、鬼頭姉には、喜びのお電話があったとのことです。「これから、毎日でも、「のぞみセンター」に行きたい・・・。」これほど嬉しいことはありません。
センターは、まさに、このような被災者との出会い、その必要性に寄り添ってのディアコニアがなされなければなりません。そして、その最初から、そのような道が開かれたことに、主の摂理を改めて思わされます。センターのために、いよいよ祈りを集めたいと思います。
★ 今朝は、久しぶりに、浜松伝道所以外の説教奉仕に出張します。当伝道所は、浜松伝道所の牧野委員の幸いな奨励で礼拝式を捧げます。無牧の期間、牧野委員を始め、委員、会員が心を合わせ、奉仕を束にして教会を守られました。どんなことがあっても教会を「守る」。この気概のある委員、信徒がいれば、教会は、強いのです。私どももまた、浜松の兄妹から、学ぶことが多いと思います。