過去の投稿2012年5月30日

5月27日 聖霊降臨祭

★  聖霊降臨祭を祝います。この日、聖霊なる神が、キリストの救いの御業を、選びの民に、信仰を通して、「適用する」お働きをするために、地上に注がれました。聖霊は、旧約時代においても豊かに働いておられました。しかし、基本的にはイスラエルの民に限定されていました。しかし今や、キリストのご昇天によって、聖霊なる神は、キリストの獲得されたすべての霊的な祝福を、信じる者にあてはめていただくために、自由にお働きを始められました。聖霊なる神さまは、私どもの信仰のありとあらゆる力と恵みの源でいらっしゃいます。言わば、私どもにもっとも近く、直接に関わって下さる神さまです。そして、聖霊の、歴史における中心的お働きは、父なる神のご計画の中心であるキリストの教会をこの地上に創設なさることです。聖霊は、神の国の中心的なあらわれである教会を通し、他ならない私どもを、教会員として奉仕させることによって、世界の救い、歴史の完成のために、今この瞬間も働き続けておられます。日々、「造り主にしてかつ命を与えたもう聖霊」を祈り求めましょう。

☆  今週末、いよいよ、○委員の結婚式が当伝道所の礼拝堂において挙行されます。久しぶりの挙式となります。しかも、この礼拝堂においての会員の挙式は、初めてです。どうぞ、お祈り下さい。私どもにとりましても、○○委員にとりましても、夫婦共に、信仰(教会)に生きる道を進み行かれることを、神に心から祈り求めます。会員のなかで、家庭にあって、自分ひとりだけ、キリスト者の歩みをなさっている兄弟も少なくありません。男性も女性も固有の困難さを抱えています。しかし、男性(夫)一人でのキリスト者の生活の方が、むしろ、さまざまに「大変」なのではないかと、男性牧師は、思ってしまいます。家庭にあって、女性(妻)の立場は強く、その力は大きいと思うからです。家族伝道のために、まさに、互いに配慮し合い、協力しあうことを、いよいよ真剣に祈り求めたいと思います。  

★  先週の礼拝式後、短い時間ではありましたが、披露宴で歌う讃美歌の練習を、○さんにお願いしました。さすが声楽科の学生です。歌を歌う前の体のつくり方、声の出し方・・・から始まりました。ハミングで歌ってみることの有効性については、初めて伺い、体験しました。これは、教会員全員で、いつか、真剣に学び、練習する価値があると思います。先日の祈祷会では、賛美(マタイ受難曲)についてわずかでしたが学びました。そこに、「歌」の価値、その仕事の永遠性について言及しました。神賛美=賛美の歌唱こそ、地上にあってはもちろんのこと、天上にあっても継続する私どもの光栄ある奉仕です。天国では、おそらく練習しなくとも、ひとりひとりのキリスト者は、すばらしい歌声を与えられるのだと想像します。しかし、地上にあっては、(ナニゴトモ)「練習」することが必須です。

☆  私どもの教会は、「聖歌隊」はありません。これも、オルガンの設置場所どうよう、わたしじしんの大きなコダワリに基づきます。(日本キリスト改革派教会で聖歌隊を備えている教会は、ほとんどないと思います)それは、礼拝式は、歌のプロ集団の「聖歌隊」の特権的奉仕の場ではないからです。聖歌隊の奉仕を、聴衆として楽しむことは、おおよそ私どもの礼拝式にふさわしくないとの理解に基づきます。しかし、だからと言って、聖歌隊の存在を否定はしません。彼らによって、会衆賛美がより豊かなものとなるのであれば、すばらしいことです。しかし、現状の私どもは、聖歌隊の活躍を求めません。皆が聖歌隊員なのですから。(ただし、伝道集会等では、まったく別です。もしも、わたしどもの会員が、自分たちのコンサートの担い手になることができたら、夢のようにすばらしいことです!!)

★  いずれにしろ、一回いっかいの礼拝式を、過去最高の礼拝式として捧げるために、説教者はもとより、奏楽者、献金奉仕者、受付、ナースリー、礼拝当番そして、何よりも、ひとりひとりの説教聴聞、そして賛美、ニカヤ信条、十戒、主の祈りの朗唱に心を込め、思いを込め、力の限り(力んで体を固くすると、かえって逆効果!)に捧げたいと思います。