★ 昨日は、○委員の挙式そして、披露宴の祝辞を務めました。ここに、祝辞の草稿を記します。
「結婚式の式辞において、星の王子さまの作者のサンテクジュペリの言葉をご紹介しました。
【愛とは二人が見つめ合うことではなく、二人が同じひとつの方向を見ることである。】だから、これからも神さまを仰ぎ見て、歩み続けて下さいとお勧めいたしました。
しかし、前言撤回ではまったくありませんが、触れなかったこともあります。「星の王子さま」の物語は、一輪のバラが咲く自分の星を飛び出して、旅を始めるところから展開されて行きます。何故、旅立ったのでしょうか。王子さまが、自分の小さな星に咲く一輪のバラ、つまり、大切な相手ときちんと向き合うことができなかったからです。
式の間、お二人は、終始腕を組んでいましたね。リハーサルの時に、何度か、基本の姿勢は、腕を組むことですよ、と申しあげました。
このようなお祝いの席で、個人的な愚痴を申しますが、実は、わたしの妻は、恥ずかしいと言って、腕を組んでくれません。腕を組むときは、100パーセント、わたしの方からなのです。
お二人は、いかがでしょうか。これから、腕を組んで歩くかどうか、どうぞ、ご自由になさってください。 わたしの愚痴は、忘れてくださってかまいません。いや、忘れて下さい。しかし、腕を組んだあの姿勢は忘れないでください。
いったい、何が言いたいのか。それは、お互いのことに関心を注ぎ合って下さいというお勧めです。お二人が見つめ合うこととお二人で神を仰ぎ見ることとは、まったく矛盾しません。この二つとも、なくてならないことなのです。
どうぞ、○さんは、○さんに関心をそそいで下さい。○さんは、○さんに関心を注いで下さい。夫婦のよい関係は、インスタントではつくれません。時間をかけることが大切です。心と心で向き合ってください。見つめ合う時間を大切にしてください。
神の平和と愛とが、お二人にいつもありますように。
☆ 今朝の説教では、神の掟の精神とは、神を愛し、人を愛することは、二つで一つの愛に他ならないのだと学びます。上記の祝辞にも通じることです。挙式のための説教では、二人の姿勢は、神へと向かうことだと強調し、勧めました。言わば、神からの愛を豊かに受け、神を愛することへの招きです。第一の愛の掟への招きです。しかし、祝辞では、人への愛、夫婦の愛へのお勧めをしました。
★ 神の掟は、私どもを、神と人を愛するという、二つの方向性へと動かすのでしょうか。違います。一つの方向性です。神と人への愛は、二つで一つの愛なのです。神を愛するという弓矢を放つとします。もし、的に命中するなら、後ろにある的、つまり隣人を愛するという的をも射抜いてしまっているのです。したがって、神を愛すると言いながら、兄弟を憎むなら、私どもは的外れになっています。(ヨハネの手紙Ⅰ第4章20節)
☆ 神の愛の掟が具体的に目指す実りとは、どのようなものなのでしょうか。それは、愛の共同体である教会の形成です。そして、その教会に生きるつまり、奉仕する人間の形成です。当然、罪人の集いですから、愛の労苦を重ねる忍耐が互いに求められています。
そしてそれは、家庭の形成でもあります。そのために、先ず、伴侶の救いが第一の祈りとなります。そして、そのためにも、夫婦の愛、隣人愛が問われます。また、伴侶の救いのためにも、私どもの教会が愛の共同体として形成される必要があります。未信者の方に憧れを抱かれ、居心地のよい交わりとなることが大切です。福音による慰め、互いを受け入れあう暖かな眼差しとことばかけ、家族の救いの実現のためにも。
★ 先週の読書会で、牧田先生の講演を読み合わせました。教会は、私どもの人生のすべてに影響を与える・・・。言うまでもない、当然すぎる事実なのですが、出席者の中で、あらためてこのことに反応された方がいらっしゃいました。上記のように、私どもの教会が、いよいよ、祝福された教会となることは、ひとりひとりの個人的な生活の祝福に直結します。そして、このことも上記のように「二つで一つ」の真理なのです。そして、順序は、曲げられません。第一のことを第一にするときに、第二のこと、ここでは、個人の生活、家庭、社会生活の充実へと繋がって行くわけです。
☆ 読書会で必ず出る嘆きのことば・・・。もっと多くの方と、この恵みを共にしたい・・・。次回は、7月15日、 16日の教会全体研修会です!まさに全員の出席を!!