★ 先日は、中部中会と東釜山老会との合同研修会で、東釜山に参りました。韓国での説教は、二度目。説教中、会衆から(全員ではありません)何度も「アーメン」の応答があります。説教が、教会のもの(作品)であることをよい意味で覚えさせられます。この応答は、「神の名によって宣言する言葉」への応答に限られることを、改めて思わされます。しかし、一か所、「アーメン」があってよい言葉に、ありませんでした!これも、興味深いことでした。自分の説教の課題等について、豊かに教えて頂けました。高神派の教会からどれほど多くのものを学ぶべきかを思わされての帰国となりました。
☆ 7月5日の朝日新聞朝刊に、「愚かな核の国、日本」(コラム:【スワ氏文集】)を読んで、久々に、朝日新聞を購読していてよかったと思いました。諏訪哲史氏は、名古屋出身の小説家。キリスト者や教会から預言者の声が聞こえず、神は、未信者を通して、「警告」して下さったと思います。ネットで全文が読めます。
★ 6月17日の続き 2回目 「豊明教会長老候補者のための学び」(2001年12月27日)のプリント。
① 小会と中会(諸教会・伝道所)との関係
a「中会会議の議員としての長老」
伝道所委員との違いの一つは、正議員としての資格と責任が与えられることです。「長老職務者」には、「中部中会形成」への召命、使命が与えられています。焦らず少しずつ、視野を広げて下さい。時には、自分の仕事を休んでも「会議」に出席するため、この世的には「損」を引き受けてください。皆さんの中から、中部中会の諸委員会の「委員」として奉仕し、中会形成に直接的に参与する方が輩出されることを期待しています。
b「近隣の諸教会との伝道と研修の協力」
長老主義教会の健全な形成と伝道の進展のために協力して、伝道を研修の時を備えることは、 大切な使命の一つです。私の加入以来の願いの一つに、「名古屋圏伝道」の推進があります。 これまでにも、四教会合同半日研修会、三教会の日曜学校キャンプなどがなされてまいりました。豊明「教会」は、これから、名古屋教会とともに名古屋圏伝道のリーダーになって頂きたいと思います。
Ⅱ 「慰めの共同体=教会」を形成する「要」としての小会形成
名古屋岩の上伝道所は、「ここに神の教会を、ここにキリストだけを主と告白する慰めの共同体を形成してください。」との祈りをもって、開拓伝道に励んでいます。
① 「慰めの共同体=教会」の形成
教会とはキリストだけを主と告白する者によって建て上げられます。キリストのために人生を捧げるキリスト者にとって、なくてならないのは教会です。教会が「慰めの家」として築かれてゆくことがなければ、信仰のよき戦いを戦うことは不可能だと思います。信仰はひとり(個人)で、歩むことはできないからです。そのような教会を建て上げ、そのように会員を牧会する働きに召されているが長老です。それなら、どうすれば、教会は慰めの共同体となれるのでしょうか。
a 「牧師と共に祈る長老」
長老とは、「治会」長老と呼ばれるように、教会を牧会する務め(キリストの統治、支配が貫かれるように治めることです。管理、監督という側面より、圧倒的に強調すべきは、霊的な牧会であり、訓練です。つまり、教会員を「牧会」する中心的な担い手であり、職務として課されている奉仕者です。もし、会員の生活(教会生活はもとより家族職場他での課題など)について、牧師から聞いて初めて知るということであれば、むしろ、転倒しています。長老こそ、牧師に牧会の課題(会員の状況)を分かち合うべきなのです。政治規準55条7項に「教会員の身体的、霊的問題で、牧会的配慮を要する事柄を、牧師に知らせること」とある通りです。治会長老こそ、「訪問」(1項)し、教会員の中に「説教の結ぶ実を注意深く見守る」(6項)ことが求められています。一昔前になるかもしれませんが、長老主義教会では、「長老たる者、牧師と共に全集会に出席すべし・・」と言われたそうです。現代の状況では、あり得ないことと思います。しかし、それでも週日の祈祷会に出席することは、最低限、必要と思います。牧師と共に教会のため、教会員のため、中会、大会のために祈り、そのように祈りを一つにする生活を整えることが慰めの共同体の形成には不可欠と思います。