★ 先週は、午後の全体研修会そして月曜日には、豊明教会との合同研修会と、恵まれた集会を重ねることができました。特に、豊明教会との合同の研修会は、本当に久しぶりに他教会との「共同研鑽」という、まさに長老主義教会に生きる私どもの「特権」でした。「共同研鑽」と単なる教会間の「交わり」とは、異なります。研鑽とは、主とその御言葉によって相互に研(みが)きあうことです。それは、同じ信仰告白の絆に結ばれ、共に中部中会という全体教会に連なる教会だからこそ、可能なのです。ただし形式上のことだけでは、真実の研鑽とまではなりません。豊明教会には、これまで、私どもが一方的に御世話になり続けて来ました。また、その中での、信頼関係も与えられてまいりました。まさに恵みであり、特権です。反面、そのような特権を行使することの少なかった歩みを、今更ながら、残念に思わされます。これからもまた、できれば、このような機会を得たいと願います。
☆ 何よりもすばらしいことは、わたしも梶浦牧師も、今回は、ただ聞かせて頂いたことです。奉仕がなくて楽だったということでは決してありません。それぞれ、立てられた○○長老と○○委員の発題を安心して聴きながら、本当に嬉しくなりました。教会は、信仰の筋道をきちんとわきまえた信徒、役員によって、安定します。もとより、牧師が彼らを育て、指導することが必須です。その後、4つの分団にわかれました。梶浦牧師とわたしとは、分団に属さず、それぞれを回ることとなりました。しかし、わたしは、最初の分団にほぼ留まりました。そして、あっという間に時間が経ってしまったからです。そして、どの分団も時間が来ても終わりません・・・。それほど、よい交わりがなされたのだと思います。そして、お昼は、豊明教会のおもてなしを受けました。そこでもまた、時間を忘れて、交わりのときを楽しみました。全て、信仰による会話であり、建徳的な会話、交わりでした。
★ ひとりの長老から、メールを頂きました。キリスト者らしい配慮に満ちた、言葉です。
【岩の上教会のみなさまの、まっすぐな、くったくのない笑顔に励まされました。閉会後、片付けを終え、 ふと、役員たちと残ってくださった教会員のお顔が、じつにすがすがしい笑顔であったことに気づきました。時間を忘れての語り合いとお交わりを通して、岩の上のみなさまから元気をたくさんいただけたと思います。また、修養会委員会と執事会が実に周到な準備をなさいました。みなさまへ、せいいっぱいおもてなしができたことの充実感もあったのでしょう。当教会のことをお祈りにおぼえていただけることは何よりの励みです。みなさまも、教会設立に向けてますます進んでいかれますように。さまざまな考えや思いなどを超えて、主イエスさまによって、教会が一つとなれますように、お祈りいたします。これからもどうぞよろしくお願いいたします。】
☆ 主日の午後、教会でバーベキューを楽しみました。奉仕は、男性の会の皆さん。しかも、一泊お泊まり会の父母の方々も、一生懸命、焼いてくださいました。これもまた、大変、幸いなときでした。教会の敷居が低くなれば、嬉しく思います。近隣の皆さまには、ご迷惑をおかけしたかもしれません・・・。
★ 教会でのお泊まり会。わたしの記憶では、初めてのことではなかったかと思います。いつものキャンプは出来ませんでしたが、18名の子どもたちが、段ボールを敷いて、寝てくれました。近くの温泉、そして宿泊の奉仕を捧げて下さった方々にあらためて感謝いたします。
☆ 豊明教会長老候補者のための学び」(2001年12月27日)のプリントの残りの部分は、本日、B4裏表一枚のプリントとしてお渡ししましたので、そちらをお読みください。午後の教会設立に向かうための学び会では、私どもの教会の歴史が、委員方により振り返られました。説教でも、祈祷会でも言及しました。あのビルの厳しい伝道の戦いにおいて、共に励んで下さった先輩方あっての、今日の私どもです。彼らが、あのとき、万一にもくじけていたら・・・。おそらく、ここに教会はなかったのではないかとすら-これは、いささか不信仰な表現になりますが-思います。そして、それは、今、ここに呼び集められたひとり一人の責任を思わされます。わたしひとりだけの夜の祈祷会が、何度か経験しました。2~3人の祈祷会は、めずらしくありませんでした。しかし、私どもは体験を重ねてまいりました。祈祷会で、祈ったことは、必ず、成就する。御心が実現して行くということです。二人三人、わたしの名によって集まるところには、わたしもいるのである、小さな群れよ、恐れるな!主イエスの励ましの声を、これからも共に聴き続けてまいりましょう。
止揚学園の○姉、○姉より、心温まるお便りを頂きました。掲示しています。