過去の投稿2012年7月29日

7月29日

★  先週は、四国中会信徒修養会にお招きを受けて、高知県に参りました。四国中会に伺うのは、これで三度目。最初は、2004年、日曜学校教師研修会であったかと思いま。前回は、四国中会設立60周年記念の大会に中部中会議長として問安のご挨拶に伺いました。四国中会の信徒修養会は、隔年、開催とのことで、4年ぶりの通常開催となるわけです。平日にもかかわらず、会場のホテルには、125名以上の方々が出席されたとのことです。

☆  主題は、「教会とは何か」でした。委員会からの講師としてお招きを受けたとき、「教会について何でもよいので、お話ください」とのことでした。当初、私どもの行事の関係で御断りしたのでした。しかし私自身、これまで(願わくは、これからも・・・)「まことの教会の形成」、聖書に即し、歴史の審判(評価)つまり神の裁きに立ちうる教会を形成することに、全身全霊を注いできたつもりです。最終的に、喜んでお引き受けすることに致しました。しかも、「神学教師」ではありませんから、神学の「教科書」のような、お話をすることは、避けました。何よりも、そのような能力がありません。    わたしは、「牧師」です。つまり、仕える具体的な教会があります。その教会における実践を抜きにして、アレコレ語ることは、不誠実だと思っています。ですから、善くも悪しくも名古屋岩の上伝道所の姿を例にしながら、お話いたしました。与えられた主題を、わたし自身が掲げ直させて頂きました。  その主題は、「まことの教会を求めて-名古屋岩の上伝道所の実践をもとに-」です。第一講演は、「まことの教会の形成を求めて 開拓の事例と創立宣言」。第二講演は、「ディアコニアに生きる教会を目指して 事例と創立20周年宣言」です。さらに、夜の集会では、お求めに応え、パワーポイント(スライド、○○委員作成)を用いて、大震災ディアコニア支援室の活動を分かち合わせていただきました。

★  第一講演では、私ども日本キリスト改革派教会のまさにアイデンティティ(自己理解)そのものを徹底的に掘り下げ続けるように、創立宣言は言わば過去のものではなく、今なお、私ども日本キリスト改革派教会の会員の目標であり、実現すべき課題であることを訴えました。そしてどれほど、小さな群れであったとしても、この宣言にこだわり続け、「制度的教会の形成」という日本の教会の歴史において極めて重要な意義、使命を担うその責任を訴えました。もともと、日本キリスト改革派教会育ちの方の方が当然、多いわけですが、しかし、自覚的な信仰の理解を深めることの大切さを、創立70周年を控える世代であればこそ、強調させていただきました。しかし、結論は、「祈りと聖霊」の強調でした。

  第二講演は、「古くて、新しい教会像」についてです。おそらく、日本キリスト改革派教会の内部ではまだ、「ディアコニア」の横文字は、なじんでいないと思います。しかし、今回のこの講演で、少しは、四国の皆さまにも、身近になっていただけたかもしれません。もとより、言葉だけを覚えていただいてもほとんど意味がありません。改革教会は、「教会のめじるし・標識」として、「説教と聖餐」そして「戒規・訓練」の三つを数えるということは、私どもの言わば常識とされています。しかし、それにくわえて、「奉仕、愛の執事的働き」も加えなければならないということを、確認しました。この講演に対しては、ある宣教師の方が、皆さんの前で、「英訳して、日本だけでなく海外で読んでもらえるようにしてください・・・」と声を挙げられました。すぐに、「英語ができませんので、先生がしてください・・・」と応答しました。後で、「ある長老の方が、わたしがしましょうか・・・」と声をかけて下さいました。どうなるかは、分かりません。ただし、わたし自身、お話そのものにそのような価値があるとは、まったく思いません。しかし、日本の教会、日本キリスト改革派教会が本当に、今、新しくされること、再出発しなければならないこと、それだけは、真剣に訴えたつもりですし、受けとめて頂ければと願います。その意味では、誰よりも、牧師たちがどのように聞いて下さり、今後、応答してくださるのか・・・、それこそが、わたしの祈りになります。

☆  奉仕後、レストランに。満席の理由からか、なんと特別室で。委員の教師と会員方との昼食の交わり(土佐弁!)を心から楽しみ、また、カツオのたたきも楽しみました。名古屋の湿度に比べて、高知は過ごしやすいということで盛り上がってしまいました。夜の祈祷会に間に会うように、直帰しましたが、名古屋駅に着いた瞬間、「ああこの湿度!」と、頭痛(熱中症?)と共に、どっと疲れが出ました。今週は、「雀のお宿」で、小中学生と付き合います。体が持つか…!? 熱中症に気をつけて下さい!