過去の投稿2012年8月20日

8月19日

★  これを、記すのは、一週間前のことになります。昨晩、もしくは19日未明、おそらく無事に、宮城県山元町から戻っているはずです。週報の準備と印刷は、戻った夜にするのか、はたまた早朝になるのか、体力の状況次第です。詳しくは又、後日、きちんと皆様にご報告したいと思います。

★ 先週は、西部中会主催の8:15平和集会のお招きを受けて、講演奉仕をさせていただきました。この集会は、これまでの講演者は、すべて専門家(キリスト者以外の学者もおられます)であり、講演録は、すでに一麦出版社より、一冊の書物とされています。その意味では、人選ミスではないかと思いつつ、「自由に語れ」との委員会のご意向を受けて、まさに自由に語らせていただきました。

   主題は、「愛と平和の手紙としての教会形成」です。下記は、そのレジュメです。四国の講演か、あるいは今回の講演記録は、いつか皆様とも読書会のテキストにできればとも思います。私どもの教会がどのように歩んで来たのか、また、歩み続けるべきか、まさに、名古屋岩の上伝道所じしんが鮮明に確認する努力を怠ってはならないと思うからです。

【はじめに】
-田中剛二牧師の「脱退届け」について-  神港教会の形成、悔い改めの実り  教会=手紙
「一、教団成立は日本にある教会の信仰的妥協であったことを確信すること(悔改のためには教団を解体すべきである。)
一、教団があった故に、日本の教会が迫害と弾圧より守られ、今日の宣教の自由を得ることができたのだといふ考えのまったく誤っていること(今日の伝道の不振は寧ろ迫害を回避して信仰的妥協をしたことに就いて、日本の教会が徹底的悔改めをなさないことに起因すると確信する)。
一、私の教団脱退は私の悔改である。」

1、教会とは何か   ―神の国の中心的現れ- 
①「この教会は神の国の中心的現れ、世界の希望のしるしです。」(60周年宣言)

② 教会の存在理由とは何か -キリストの福音の宣教-
「この終わりの時代においては、キリストの福音の宣教こそ神の国の進展の中心的しるしです。」(60周年))

③ 教会の使命とは何か   -神の国の正義と愛と平和を映し出す-
「キリストの支配による神の国は、正義と愛と平和の御国です。神の民であるわたしたちは、神の国とその秩序をわたしたちの内に映し出し、世にあっては地の塩、世の光として労します。わたしたちは、和解と平和の実現のために働き、あらゆる差別、暴力、不義、不正と戦い、試練と苦難の中にある「最も小さい者の一人」のために奉仕します。」(60周年宣言:「正義と愛と平和への使命」)

2、教会が見えにくくなっている?
①見えない教会と見える教会

②告白する教会の形成
「また、あらゆる領域で神の真理を証しし、たとえ国家的権威であれ、良心と思想を統制しようとする悪魔的策略に対しては、キリストの王権を大胆に宣言して戦います。」(60周年宣言)

③「主の御名をみだりに唱える」とは
  「キリシタン類族令」を克服する課題

3、新しい教会像 
①ディアコニアに生きる教会-ディアコニアと伝道

②神の愛と平和の手紙としての教会 ―新しい日本を建てるために
「歴史的に唯一の偉大な説教者は教会である。だから説教者個人の第一の仕事は、教会が説教できるようにするということである。」「彼は福音から教会へと説教して、教会とともにこの世に福音を語るようにすべきだ。教会に説教して、同時に、そのことが教会から説教することでもあるようにすべきだ。」 (「フォーサイスの説教論」) 

【終わりに】
「新しい日本の建設」(創立宣言)を「絵に描いた餅」としないために、深い悔い改めと神の希望を信じ、愛と平和の手紙としての教会の形成、ディアコニアに生きる教会の形成に献身してまいりたい。