過去の投稿2012年9月26日

9月23日

★  先週は、中部中会信徒研修会が開催されました。昨年に引き続いて、主題は、「日韓協力開拓伝道」についてでした。同じ主題を重ねるのは、この課題が中会にとって、極めて大きなものであるからに違いありません。中会は、名古屋圏において、東釜山老会と協力して、協力開拓伝道を行う決議(2011年第一回定期会)を致しました。委員会の構成は、小野教師(長)、大西教師、梶浦教師(昨年まで西堀教師)、金教師、掘畑長老、原科長老です。 分団で質問が出ました。「何故、名古屋圏なのか・・・。」第一義は、東釜山老会が、中部の中心圏における伝道を願っておられたからです。しかし、委員会が提示した伝道候補地は、名古屋市内ではなく、可児、長久手、日進です。今回の研修会は、小学科の別プログラムにいた関係で、証はそのすべて、また分団はその半分は、うかがえませんでした。しかし、全体の印象からは、日韓協力開拓伝道への「熱気」を感じることは、できませんでした。

☆  分団で、発言させていただいたのは、日韓協力開拓伝道を行うのであれば、単に、名古屋圏に日本キリスト改革派教会が一つ増えるということを目指すだけのものとしてはならない、ということでした。韓国高神派と日本の私どもとの真実の出会いの場、それによって、相互の教会にとって有益な教会像を構築することを目指すべきです。そこでは「相互」が大切です。中部中会と東釜山老会の「教勢」は、圧倒的な差があります。一個の教会だけでも、中部中会の現住陪餐会員に匹敵するような教会があります。人材や経済力、何よりもその信仰の熱意や献身の姿は、昨年の研修会で、「巨人」という言葉が、東釜山の教会や牧師に対して、何度も語られましたのが象徴的に表わしています。昨年のペ先生の説教の原稿を読まれれば、私どものキリスト者生活(教会生活)と東釜山のそれとが、どれほどの落差があるかを思わざるを得ません。率直に申しまして、私どもの霊性や熱心は、小人のそれなのかもしれません・・・。それなら、なおそこで、「相互」の建徳ということは、可能なのでしょうか。私どもは、一方的に、教えられ、韓国方式の伝道、礼拝式の実践を学ぶのでしょうか。違うはずです。私どもは、相互の出会いによって、おそらく、お互いがどれほど、それぞれの国の歴史、伝統の影響を被ったキリスト教、教会になっているかを、検証できるでしょう。そして、それを深めて行くとき、お互いの教会の長所と短所もまた、浮かび上がってくるでしょう。

★  分団でもう一つ発言したのは、金起泰先生の浜松の奉仕のことでした。代理宣教教師として、浜松の皆さんに、先生の牧会伝道は、決して韓国方式として見て欲しくないと、最初の頃、何度も、委員会を中心にお話しました。もし、「それは、日本キリスト改革派教会のやり方ではない・・・」と、会員のどなたかが異を唱えるなら、それは、先生の奉仕を疎外してしまうと、危ぶんだからです。金先生の伝道牧会は、徹底的に聖書的教会とキリスト者を建て上げようとするものであることを、浜松の会員は、時間がかかったかもしれませんが、受けとめられたはずです。 私ども日本キリスト改革派教会は、もしかすると、本来の改革派信仰、目指すべき長老主義政治から、ずいぶん離れているところが少なくないのかもしれません。そして、それはまた、高神派も同じ課題を抱えているだろうと(私どもより、はるかに少ないでしょうが・・・)思います。このような出会いの場となるような開拓伝道、開拓教会でなければ、その意味は少ないと思います。

★  しかし、「現実」には、極めて高いハードルがあることを無視することはできません。何よりも、これを担う世代の牧師、役員、信徒が少なくなっているのです。教師委員方も、いつまでも現役ではいらっしゃらないでしょう。牧師を欠く群れや未自給の伝道所の存在があります。わたしには、打開の妙案がありません。

☆  小学科のプログラムは、平和について学びました。第一に、神さまとの個人的な平和(救いの恵み)。第二に、個人と個人の間の平和(平和の教会形成)。そして、最後に、国と国との平和(特に日韓協力)です。最初は、私が担当予定でしたが、三輪委員が、日韓の歴史を小学生たちに語って下さいました。本当に感謝致しました。もしかすると、大人のためにも、ただしく歴史をおさらいできたかもしれません。岩の上の子どもたちにも、あるいは、読書会でも、改めてお話を聴きたいと思います。 

★  第67回定期大会の議案書を読みました。私が特に注目した一つは、「教会の職制と働きに関する特別委員会報告」です。70周年以降の提言として、【「伝道師」「教会主事」を設置する。女性長老を認める。女性教師も認めうるが、なお準備と検討を要する・・・。】(詳しくは後日)です。私自身の確信は、十数年前から決定し、揺るぎません。私どもは、長老候補者を育てる戦いのまさに最後の局面にあります。それだけに、この提言は、「遅過ぎ」ですが、肯定的に見れば、どれほど慎重かつ熟議を重ねたのか、ということでしょう・・・。